オレの仲間たち!

「みんなで手をつないで、せーのっ!で入社したんじゃないんだから、、、」

ある時、一部の会社の同僚達が寄ってたかって僕を袋叩きにしようとしていた時期がありました。前任の厳しーい上司から一転、ゆるーい上司になり2年目、ここぞとばかりに「何でも言ったもん勝ち!」みたいな風潮が社内に漂い始めていた時期でした。まさに無法地帯。

どうも周りの話を聞くと、僕は上司の「お気に入り」で特別扱いされている、と事実無根の幻想が社員間で共有され拡大していたみたいなのです。ほぼ四面楚歌。(苦笑)上司がスペイン語よく分からず状況を把握していないのに付け込んで、でっち上げやら誇張やら、忙しいこっちは「なんでこんな下らない事にこんなに時間割いているわけ?」という状態です。毎週毎週月曜日の“営業会議”で僕の“吊し上げ”が何も分かっていない上司の前で永遠と行われるのです。その光景を今思い出すと、「あーなんて興味深くも狭い世界にいた事か」と感慨深げになってしまうほどです。

そんな時に僕が上司に「なんでこんな事になっているのか理由が全く分からない。この種の“議論”をまだ続けるのであればせめて経緯と現状を理解してもらった上でやるべきだと思う。そうでないとただの時間のムダ」と告げました。冒頭のフレーズはそれに対する返答です。

要するに「分かり合うなんてムリ、信頼関係を築くなんてムリ」ってことです。

まぁ、現実はそうなんですけどね。同僚に期待してはいけない。わかりますよそれ。僕も火傷しましたから。現実として他人は大抵自分の事しか考えていないことが多いんでしょう。でも上司のアンタがそういうオーラ出してちゃ、肝心な時に人ついて来ないでしょ。(苦笑)「情けは人の為ならず」という言い言葉がありますが、それはもはや死語ということなんでしょうか・・・

人生の大半の時間、数年、数十年と社内の人と否応なしに付き合っていかなければならないじゃないですか。心と顔を偽って膨大な時間をこの人たちと付き合って行くって、単純に勿体無いって思うんです。数年、数十年と一緒に働いた同僚が、辞めたとたんに赤の他人となる。やっぱりそれってちょっと寂しいし勿体無いですよね。

よっぽどの問題社員でない限り、短い人生の一点でせっかく【出会い】、職場で苦楽を共にし、一緒に働いてきたのだから、できることであれば【友達】として付き合い続けたというのが本音ではないでしょうか。できるのであれば。必要以上に期待はしないけれど、僕はそう出来たらいいなぁと思います。

 

先日僕の姑の誕生日でした。僕らはセレナタを贈りました。【セレナタ(Serenata)】とは音楽隊が生で奏でる音楽を、愛する人に贈るという粋なプレゼントです。その音楽隊というのが、皆さんもご存知でしょう、【マリアチ(Mariachi)】といいます。その人の家や、レストランや、告白する時や、場所やシチュエーションは様々です。

ビデオ⇒⇒⇒ https://photos.app.goo.gl/5T3SLir3gUJ2bpYZA (叫んでいるのが陽気な僕の嫁です 笑笑)

この人たちは、若干の入れ替わりはあったものの、もう30年以上にもわたって、一緒に演奏している【仲間】なんだそうです。イロイロあるんでしょうけれど、結局はいつも一緒。7人揃って我マリアチ。これぞ全員で一緒にお客さんを喜ばす根本的な姿だと思うんです。

短い人生、利害ばかりに目が行っていては勿体ない。人間としてもっと本質的なものを大事にすれば、自ずと現代社会に蔓延る閉塞感のようなものは消えて行くのではないでしょうか。そんな日常の一部をメキシコでは垣間見ることができるのが、僕がメキシコが好きな理由の一つです。