全てのメソアメリカの道はオルメカに通ず。(驚!)


メキシコ在住16年目、

「メキシコの素顔を世界に!をモットーに、

複雑で広大なメキシコを【お得】で【楽】で【濃厚】完全プライベート日本語ツアーで、

いつかまた戻ってきたくなるメキシコ旅行を提供しています、

公認日本語ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。

 

今日も呑気にメキシコから書いています~

 

全てのメソアメリカの道はオルメカに通ず。(驚!)

☝☝☝オルメカ文化のラ・ヴェンタ遺跡

 

なぜか最近、

心配していたフェイスブックのエンゲージメント率(反応率)が回復傾向にあります。(苦笑)

 

特に書き方は変えていないので、

コンテンツの内容ではないと思うんです。

 

僕のページには5500名様以上のフォロワーさんがいらっしゃるのですが、

僕が投稿する度に、

全てのフォロワーさんに僕の投稿が届くわけじゃないんですね~・・・

 

ここがフェイスブックのビジネスで、

投稿が届く事をリーチって呼ぶんですが、

より多くの人にリーチするには、

おカネを払わないといけないんです。(苦笑)

 

よって、

おカネを払わない僕の投稿は、

たったの数百人(10%未満)の方にしか届けられないという不条理が大量発生中。

 

👆これ、なんなんですかね。

僕のページを「良い」と評価頂いた方が、

僕の投稿を読みたいという理由でフォロー頂いたのに、

配達すらされない。(呆)

 

でもなんかの拍子にこのリーチ率がピュンと上がるんです。(苦笑)

いろいろ要素(アルゴリズム)はあるのですが、

グーグルと同じで彼らが指先でコロコロ変えているようですね。(苦笑)

 

会社で社長が変われば方針もガラッと変わる、

社長の気分次第で風が逆に吹く、

そんな不条理にも嫌気がさしてサラリーマン辞めたのに、

2年経っても未だに誰かの掌でコロコロ転がされているいる状態に、

今クスっと一人笑いしていました。(苦笑)

 

前置きはこれぐらいにして、

今日はオルメカという文化にお話。

 

1521年にスペイン人がメシカ帝国を乗っ取るまでの、

約3000年という時間に各文化が存在したエリアを

メソアメリカ

それらの文化の集まりを

メソアメリカ文明と呼んでいます。

 

そしてその始まりが、

オルメカ文化

です。

 

だから考古学的にオルメカ文化が注目されるわけですが、

こと“観光地”としては、

スポットライトを浴びませんねぇ・・・

 

なぜならば、

「交通の便が悪いから」

(ここで僕“プロのドライバー”の出番です 笑)

とか、

「観光的に“有名”じゃないから」

です。

 

観光的に有名というのは、

例えばカンクン、

サンミゲルや、

グアナファト、

テオティワカン、

チチェンイッツァ、

メキシコシティ

などですね。

 

これまでにも常々書いてきてはいますが、

「有名である・有名ではない」

とか、

「人気観光地ランキング」

というのは、

ガイドブックやネットやテレビなどのメディア、

その他が身勝手に作り上げた“商業イメージ”なんです。

それは本来の“価値”とは言い難いんですね~。

 

いえいえ、

根っこからのリゾート好きな人で、

カンクンが聖地のように思われている人でしたら、

カンクンに行く価値はあるのですよ。

 

でも僕みたいな天邪鬼みたいな人間にとっては、

ただの人工物にしか思えないという話。(苦笑)

 

愚痴はここまでにして本題に戻しますと、(苦笑)

メソアメリカ文明最初の文化という点も然ることながら、

その他にも大事な要素があるんです。

 

後の他の地方の文化にもその影響が伝承されたという点から、

【母なる文化/Cultura madre

と呼ばれています。

 

オルメカ文化は紀元前1500年ぐらいに、

ベラクルスのサン・ロレンソという地域で興るのですが、

まず特徴的なのが、

ヒエラルキー(階級社会)に基づく政治システムがあった事。

 

それを表すのが、

有名な人頭像カベサ・コロサル(冒頭の写真)です。

この人頭像は当時の首長のものだと考えられており、

現に歴代順に並べられています。

 

それまでそのような政治組織は、

メソアメリカの他のどの地域にも見られなかったんです。

 

あとは信仰などの世界観

例えば“山”。

昔も今も生きるためには水が必要です。

水を得るには雨が必要です。

雨がなければ川も湖も干上がります。

今のように貯水池やダムなどありませんでしたからね。

 

全ては雨にかかっていたんです。

 

雨は人間に生命を与え、

そして大地に植物を生やします。

 

そんな掛け替えのない水。

それを大地に注いでくれる“雨”を

とても神聖なものとしていました。

そしてその“生命の水”雨が降り注ぐ空に近い場所、

つまり“山”を神聖な場所としたのです。

☝☝☝これはベラクルス州にある岩です。
右下の地中から湧き出る神聖な“水”を、
“ヘビ”が、ご先祖さんや神様と繋がることができ、
神聖な場所である“山”の頂上に運ぶ様子が彫られています。
現にこの岩の裏には本物の“山”があります。
この場所は紀元前700年ごろから人の定住が始まり、
AD300年ごろまで繁栄したと考えられています。
この南東に直線距離で300キロの所にオルメカ文化圏があり、
年代も一部交錯することから、
このエリアにもオルメカ文化の世界観の伝承があったものと考えられています。

 

山は天にいるご先祖様や神様に近い場所で、

彼らと“繋がる”ことができる

場所として考えられていました。

その模型が通称“ピラミッド”であり、

その“頂上”で儀式など宗教的セレモニーが行われていたのです。

 

だから、

テオティワカンの通称“月のピラミッド”の真後ろにセロ・ゴルド山があります。

 

だから、

メキシコシティ中心部(テノチティトラン)真東にあるトラロック山の山頂に遺跡があります。

 

だから、

ベラクルスの現ヒコにあった小さな集落も、

アカマリン山の山頂に遺跡があり、

その麓にはそれを描いた彫刻が残っています。(上の写真)

 

あとは、

ガイドブックでも紹介されている

通称“球戯場”または“ボールゲーム”。

この表現は間違いで、

【ボールの儀式】

です。

 

ゲームじゃないんです。

☝☝☝ボールの儀式場

 

これについてはまたもう少し詳しく書きますが、

これもオルメカ文化に端を発し、

その後のメソアメリカの文化の大半の場所にも伝承される事になります。

有名なところですと、

チチェン・イッツァやトゥラでは

全長100mを越す大きな“ボールの儀式場”、

または儀式用のスペースがあります。

 

チチェン・イッツァ、トゥラともにAD 900年以降の、

メソアメリカでは比較“新しい”都市です。

オルメカから2000年近い時を経て、

しかも何百キロも離れた別の地域でも受け継がれるオルメカ文化の世界観。

 

だ・か・ら、

【母なる文化/Cultura madre】と呼ばれます。

 

そこにオルメカの重要性があるです。

 

その一方で、

やはり謎も多いんですね。

 

オルメカ文化圏に住んでいた人々は、

いったい誰だったのか。

 

不明です。

 

そして何語を話していたのか。

 

確たる証拠は無いのですが、

ソケ(Zoque)という言語だと推測されています。

ソケ語は現在(2021年)でもメキシコ国内で話されている52の言語のうちの一つでもあり、

チアパス州に小さなソケのコミュニティーがあります。

 

昨年のこの時期に、

このソケの村でコロナの感染者が出たと

ニュースでやっていました。

十分な医療設備もない村です。

 

民俗と言語については、

またこれが超が付くほど複雑ですので、

メキシコにいらして頂いた際にご説明差し上げます~

 

そんな事で、

謎が多く、

でもその後のメソアメリカの各文化に

色濃くその世界観を残したという点で、

オルメカは特に重要な文化なのです。

 

オルメカ圏に行く場合は、

チアパスの北部のパレンケ周辺やカンペチェ南部のカラクムル周辺などと合わせて頂くと効率がよくなります。

ご興味ある方はお気軽にご相談下さい~(笑)

 

メキシコ発【キオテ通信】バックナンバーはこちら!

SNSでもどうぞ!

#MexicoCentralTours

facebook instagram

メキシコ旅行無料何でも相談窓口はこちら☟
どしどしお問合せ下さい!

または、
メール ko@mexicoct.com
ライン koiwasaki-mx
友達追加はこちら☟
Add friend
必ず24時間以内に返信を差し上げております。
もし返信がない場合には、技術的な問題で届いていない可能性が考えられます。
大変お手数ではございますが、フェイスブックメッセンジャーまたはお電話下さい。
050-5539-7594(国内通話料金が掛かります)

呼び出しや応答までに若干時間が掛かります。また、時差(日本−15時間)や通信状況によってお電話を受けられない場合が御座います。その場合は後ほど着信番号にお電話させて頂きます。何卒ご了承ください。