マヤの暦や文字はマヤの発明ではない。(苦笑)


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メキシコ在住16年目、

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メキシコ観光省認定日本語ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。

 

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今日も呑気にメキシコから書いています~(笑)

 

マヤの暦や文字はマヤの発明ではない。(苦笑)

メキシコのマヤ遺跡カラクムル遺跡の神殿が聳え立つ

👆カラクムルの遺跡には石碑(エステラ)が多く残されています。

メソアメリカ史の年表がややこしいワケ

学校の歴史の授業でもちょっと勉強した記憶があるマヤ文化。

マヤ文明と呼ばれることが殆どですが、

僕は「マヤ文化」って呼んでいます。

 

メソアメリカ文明と言えば「アステカ」とか「マヤ」、「テオティワカン」、

そして「オルメカ」も聞いたことがある方も多いでしょう。

でも、ぶっちゃけ何が何でどの時代なのかって、

ホントに基礎の基礎の部分をご存知の方って

ホントにごく僅かだと思うんです。

 

僕もメキシコ16年目ですが、

この辺を理解し始めたのはこの数年の話。(苦笑)

メキシコの人でさえ、

何が何でどの時代かを理解している人って少ないのが現状。

僕の日本史の教養だってお粗末なものです。

 

日本人が日本史を勉強するときに使う「年表」。

例えば奈良時代が710年~

その次に平安時代が794年~

鎌倉時代が1192年~

南北朝から室町時代、安土桃山が来て次に江戸時代、

という風に基本的に一直線で表されますね。

 

この感覚でメキシコの、

というかメソアメリカ時代を捉えようとするとちょっとややこしくなるんです。

だから、

同じメソアメリカ時代でも、

世界史を勉強する感覚。

例えば日本の信長さんの時代1500年代の

日本史があって、

中国史があって、

アメリカ史があって、

ヨーロッパ史があって、

アフリカ史があって、

という風に、

同じ年代にいくつもの国や地域の歴史を見る感覚。

☟こんなイメージ

 

日本が信長さんの時代に入る前、

1500年代前半、

今日のメキシコがあるメソアメリカ圏では、

あの有名なアステカで知られるメシカや、

皆さんもご存知のマヤ、

メキシコ湾側にはスペイン人と最初の同盟を結んだトトナカ、

西のミチョアカン一帯にはプレペチャ、

オアハカにはサポテカやミステカ、

という風に、

同年代にメソアメリカ各地で別々の独立した文化が存在していたんですね。

 

下手に線引きをしない方がいいよ

で今日のテーマなんですが、

マヤと言えば暦や文字、

または暦や文字を発明した、

最近では、

マヤの年表をググッと押し上げる「大発見」、

アグァダ・フェニックスは「マヤ最古の都市」、

なんて理解されている方が大変だと思うんですね。

 

ちょっとのこの辺をサクサクっと書きたいと思うんです。

そう、サクサクと。(笑)

ガイドには「専門的な説明をし過ぎる問題」っていうのがあって、(苦笑)

専門的な用語を多用したり、

少し知っているのがあたかも「普通」かのようにバババババと説明したり、

という事が多いと思うんです。

それじゃお客さんにもわかって頂けないから、

僕は少しでもその部分を軽減したいとあれこれやっていて、

このキオテ通信や、

確定頂いたお客様への渡航前無料ガイドやQ&Aもその一環。(笑)

 

それで、

「マヤ」に関する上記の点、

  • 文字
  • アグァダ・フェニックス

について、

あのマヤの遺産だ!

と決めつけるのはちょいと時期尚早っていう話。

 

このへん、

時代の境界線をビィーッと引いてしまうと、

話がややこしくなるのでご注意を。

「家康が征夷大将軍になった年が江戸時代の始まり」

っていうのはわかりやすいですが、

メソアメリカの文化の変遷て、

それはもう気が遠くなるような時を経て行われて行ったのです。

 

よく「マヤっていつから始まった?」って聞かれますが、

これが難しいんですねぇ・・・

そんなに単純な疑問が一番難しい。(苦笑)

どこを出発点にするかでウン前年、ウン百年て変わってきます。

 

ここで一つお知らせ~

先日ウァステカのところでマヤの起源について少し書きました。

紀元前2500年を過ぎたあたり、

ウァステカ族から離脱した1グループが南下を始め、

後にマヤ圏となる今のチアパスやグァテマラ一帯に住み着き、

彼らの独自の文化を形成し始めたっていう話でした。

☟この記事。

ウァステカ・前編

 

ウァステカ・中編

 

ウァステカ・後編

 

繰り返しますが、

僕は学者ではありません。

これらの情報源はどれも、

メキシコ大学の考古学の博士のもの。

そんなスペシャリスト間でも、

このマヤの起源だけとっても二分しているのです。

講義を聞いている僕の頭も二つに分裂寸前。(痛笑)

 

いろいろ文献を読まれて勉強もされ、

僕よりもお詳しい方も多いと思いますが、

あんまり一つの答えに固執しせずに、

そのプロセスから自分の仮説を立てる部分をお楽しみ頂くと、

頭の混乱もストレスも軽減されると思います。(笑)

 

マヤの起源て・・・?

それでマヤの起源ですが、

そのウァステカ圏から分離南下説とは別にもう一つあって、

それはというと・・・

この辺👇

 

今のグアテマラのウェウェテナンゴ(Huehuetenango)や、

メキシコ-グアテマラの国境付近のイダルゴ市一帯が、

言語学的観点から、

マヤの起源ではないかと考えられています。

 

そこからウァステカ族が逆に北上したのだと。

それが紀元前3000年頃の話。

アメリカ大陸で「農業」がポツポツと始まってから約4000年後、

人々の生活ほこのころ殆どが「定住型」のライフスタイルになっていた時代です。

あの「オルメカ」もまだ生まれていない時代、

今のチアパス州の太平洋側ソコヌスコス地方には、

(☟このへん)

モカヤ(モカジャ)という人々が、

宗教の原型を持って生活を始めていたと考えられています。

同じころ、

言語学的に「プロトマヤ」と呼ばれる、

ようはマヤ語族の一番の根っこになる言語が、

この一帯で話され始めていたと考えられています。

 

だから、

マヤっていつから始まった?

と聞かれれば、

僕は「言語学的には紀元前3000年頃」って答えます。

 

でも今日皆さんがご存じのような、

「マヤカレンダー」とか「文字」、

でっかい「ピラミッド」と呼ばれている宗教的建造物というのは、

この時代にはまだ発達していたかったのです。

その状態を「マヤではない!」とする・しないのは皆さんの自由です。(苦笑)

 

じゃあ、マヤの暦や文字はどこから生まれたのか・・・

 

続きはまた次回~>(笑)

マヤの元はオルメカと繋がっていた!?(2/2)

 

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