ツォンパントゥリとは。
メキシコ在住15年目、
「メキシコの素顔を世界に!」
をモットーに、
メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。
小学校のころ、
近所のお寺で肝試しをした思い出があります。(笑)
今の子共達も肝試しってやるんでしょうかね?
僕はあんまりビックリした経験がなので、
ただのお墓巡りになっていましたが。(苦笑)
残暑厳しい今日は、
身の毛もよだつ、
アステカで知られるメシカの
こわぁ~い話。(!?)
ツォンパントゥリ。
「なんのこっちゃ。」(苦笑)
と思われた方が殆どだと思います。
なんとその意味は、、、
ナワトル語で
“頭の壁”。
「・・・」
はい、文字通りです。
頭でできている壁。
出典:Arqueologia mexicana
ギョッとしちゃいますよね~・・・
でもそれが、
特にメシカ(アステカ)帝国に存在していたんです~。
なんでその確証が持てるかというと、
スペイン人によって書かれた史書と、
考古学的証拠に裏付けられるのです。
頭部の切断やそれを晒す習慣というのは、
メソアメリカのマヤをはじめとする他の地域や、
メソアメリカ以外の地域、
例えばモンゴルやトルコでも行われていて、
壁ではなく、
「頭の塔」
なるものがあったようです。(!?)
日本でも切腹時にクビを切り落としていましたね。
そうでなくても、
相手の首をとることは征服や勝利を示していたのでしょう。
大化の改新が始まるきっかけとなった乙巳の変で、
鎌足が入鹿を襲ってクーデターを起こした瞬間の絵
「多武峯(とうのみね)縁起絵巻」
というのがありますが、
そこにはモロ、クビ切りのシーンが描かれています。☟☟☟
フランスのルイ16世とその妻マリーアントワネットもギロチンでした。
だから地域や時代は違えど、
「首をとる」
行為については、
ある程度共通した特別な概念が見える、
ととることができると思います。
ただ殺すのではなく、
あえて首をとる。
アステカで知られるメシカの場合は更に頭部を壁にして晒していたんです。
この壁にして晒す習慣については、
メソアメリカ全土ではなく、
実はメシカ特有の習慣と言えるんですね。
確かにオアハカ、
グアテマラのマヤ圏の一ヶ所で、
類似した習慣があった事が確認されていますが、
メシカほどではありません。
そのメシカ帝国での規模はというと、
首都テノチティトラン(現在のメキシコシティ中心部歴史地区一帯)
だけでも7ヶ所のツォンパントゥリ(頭の壁)が確認されているんです。
☝☝☝テノチティトラン跡・通称「テンプロマジョール」
主には奴隷、
戦争の捕虜が生贄にされ、
その頭部をツォンパントゥリに晒されました。
でもこれは神に対する名誉だったんですね。
で、
どうやってツォンパントゥリに晒したかというと・・・
頭皮を剥ぎ、
こめかみの両サイドに穴をあけ棒をさしたんです。
中には頭皮も頭髪もそのままにされたケースもあったようですが・・・
出典:Arqueologia mexicana
出典:INAH
☝☝☝側頭部に穴が開いています
さらに驚くことに、
スペイン人ベルナル・ディアス・デル・カスティジョが書いた史書にある絵によると、
外国人らしき人物と馬の頭部があるんです。
これは特徴からスペイン人とされています。(ざまぁみろ)
メシカ時代には様々な宗教的儀式が行われていました。
春はトウモロコシの豊作を祈る儀式で、
太陽の石(テマラカトゥル)の上で行われえるグラディエーター式の生贄の儀式がありました。
覚えたと思っても1秒後にも思い出せない
トゥラカシペワリストゥリ
(tlacaxipehualiztli)
でしたね。(笑笑)
また別の時期に、
数多くあるメシカの神の中でも最も重要な神とされるウィツィロポシュトゥリの崇拝の儀式が行われる時期があったんです。
パンケツァリストゥリ(知らなくてもイイです・笑)というのですが、
そこで生贄にされた人の首をツォンパントゥリに晒したのですね・・・
ここでは「善悪」という議論はありませんので、
そういう宗教的習慣があった、
ということだけ覚えておいていただければと思います。
#MexicoCentralTours
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