ヨーロッパ人によって最初に目撃された?メソアメリカの巨大都市トゥルムの素顔・前編

メキシコ在住15年目、

「メキシコの素顔を世界に!

をモットーに、

メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。

 

フェイスブックのスパム投稿。

参っちゃいますよねぇ・・・

処理するのにも時間だけ取られて、

何の利益にもならないこういう“仕事”も、

一人自営業者の仕事の一つとして粛々とやって行こうと思います。(痛)

 

トゥルム。

カンクンに行かれる方でしたら、

たぶんチチェンイッツァと並び、

ほぼ必ず行く、

または行きたい場所リストに入るのではないでしょうか。

 

前回のコバからも1時間足らずの所にありますので、

合わせてご旅行される方も多いと思います。

カンクンからは、

南西に直線距離で120キロぐらい、

車で2時間ぐらいですね。

 

一応、

今回(前編と後編)でマヤシリーズは、

一旦終えようと思います。(笑)

もう2ヵ月以上、

ずぅーっと遺跡はマヤなので、

そろそろ別の文化の遺跡も書こうと思います。(苦笑)

 

マヤ関係はですね、

トゥルムの南西、

隣国ベリーズと国境を接するチェトゥマルという街があるんですが、

そこからカラクムル方面、

つまり西に延びるルート上に、

まだいくつかあるんです。

ユカタン半島の北の方にも、

まだまだマヤの遺跡が沢山ありますので、

それらも含めて、

また後日書きたいと思います。

 

トゥルムで知られるこの場所。

実はこの名前自体は元々の名称ではないんです。

元々はZam á (サマッ)と言うようです。

その意味はマヤ語で“朝”または“夜明け”です。

 

大体ココに行く人って、

ココ☝☟がお目当てじゃないでしょうか。(笑)

綺麗ですよね~。

海と遺跡の構図が、

他にはない風景をつくりだしています。

 

この遺跡はですね、

メソアメリカ(現メキシコ)に数多くある古代都市の中でも、

最も早い段階でヨーロッパ人によって“目撃”されたものの一つなんです。

 

どれぐらい早い段階なのかというと、

メシカ(アステカ)帝国がスペイン人に“征服”されたのが1521年です。

スペイン人が、

メソアメリカ(現メキシコ)の地に上陸し、

メシカ帝国の征服を目論み、

その首都がある内陸部(現在のメキシコシティ)に向かって

本格的に歩を進めたのが1519年前半。

メシカ帝国の首都テノチティトラン(現メキシコシティ中心部)に到達したのが同年後半です。

 

で、

最初にサマッ(トゥルム)が“目撃”されたとするのは、

1518年と言われいます。

1517年にもユカタン半島東岸近くを航海しています。

 

1518年のフアン・デ・グリハルバの記録によると、

「3つの集落または街を見つけ、

石で造られた住居や大きな“塔”を見た」

そうです。

その街の大きさに、

「故郷スペインのセビジャのようだ」

と回想しています。

その大きな塔の近くの砂浜まで接近したとのことです。

 

これが、

ヨーロッパ人によって最初に目撃されたトゥルムであり、

元も早い段階で発見されたメソアメリカの都市の一つだと考えられています。

 

前年の1517年には、

エルナンデス・デ・コルドバが、

別の“巨大”な街を目撃したそうなんですが、

これはおそらく、

カンクンの北の方にある、

ホルボックスがある長細い地形のところ、

Cabo Catucheというエリアだと考えられています。

 

「遺跡といえばピラミッド!」

と意気込んでいる人も多いと思いますが、

ココにはチチェンイッツァや

テオティワカンのような、

でっかい“ピラミッド”がないんです。(残念!)

 

だからといって“重要じゃない”とはならないんですよ。

もちろん。

 

ここは一般的には、

ユカタン半島の、

またはマヤ文化の中でも最も“新しい”都市だと認知されていますが、

その原点は他の都市同様、

ずぅーっと昔なんです。

ここにもちゃんと石碑(エステラといいます)があるんですが、

その石碑によると564年です。

 

つまり、

564年には、

石碑をつくるほどの“街”が存在していたということです。

さらにに言えば、

それだけの街になる為には、

当然それなりの人口や、

街の政治、

農耕も無ければなりません。

それ以前から、

人の定住があったわけです。

 

ていう事は、

少なくても、

スペイン人フアン・デ・グリハルバによる目撃から、

1579年に放棄されているのが見つかるまで、

1000年以上に渡り“街”として存在していたことになります。

 

1000年ですよ!?

 

今から1000年前って、

平安時代の中頃、

紫式部の源氏物語が成立した頃です。

 

それだけ長命の都市が、

「重要」でないワケないです、よね。(笑)

 

てなわけで、

雑誌に良く出てくる写真スポットで写真を撮るだけじゃもったいない!?

トゥルム、いや、

サマッの素顔。

 

次回はもうちょと詳しく、

何があるのかを書いてみますネ。

 

お楽しみに~

 

#MexicoCentralTours

【キオテ通信】バックナンバーもどうぞ