初めて真の民主化を目指したメキシコの大統領ベニト・フアレスさんとは/その4
メキシコ在住15年目、
「メキシコの素顔を世界に!」
をモットーに、
メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。
初めて真の民主化を目指したメキシコの大統領ベニト・フアレスさんとは/その4
前回は、
保守派のリッチなメキシコ人が、
自分達の特権と財産を守ためにとった愚行の話でしたね。
その1、その2、その3を
まだ読まれていない方はこちらをどうぞ。
【その1】ベニト・フアレス 【その2】ベニト・フアレス 【その3】ベニト・フアレス
大統領のベニト・フアレスは、
政権の代表者を送り、
ベラクルスのオリサバで英・仏・西の代表者たちと会談するんです。
「頼むからちょっと待ってくれよ」
と。
で希望通り待ってもらえ、
その後、
英・西は諦めて撤退したんです。
でもフランスは攻撃的になります。
ベニト・フアレスは、
その時アメリカと資金面の援助を受けられるよう、
交渉していたんですね。
しかも、
バハ・カリフォルニア、
シナロア、
チワワ、
ソノラ
を抵当に入れて。
でもそんな折、
アメリカでは南北戦争が始まってしまい、
この話はおじゃんになります。
☝よかったです。
当時のメキシコには借金を返せるか、
分かりませんでしたからね。
もしかしたら、
その領土もアメリカのものになっていたかも知れません。
翌年、
1862年に、
ナポレオン3世の下、
頭の狂ったフランス人は、
プエブラを目指して進み始めます。
領土欲しさの為に・・・
1859年の「ケーキ戦争」だって、
ケーキ屋の賠償なんてタダの口実で、
本当は乗っ取りたかったわけで、
それから20年以上たってもまだ欲が消えていなかったのですね。(苦笑)
欲深いフランス人・・・
フランス人は
プエブラ市郊外に着くのですが、
そこはメキシコ政府軍が鉄壁の守りを固めていました。
イグナシオ・サラゴサ、
ポルフィリオ・ディアス、
マリアノ・エスコベド、
ヘスス・ゴンサレス・オルテガ
の4人の軍曹が率いる軍です。
フランス軍との決戦が始まり、
メキシコが勝利します。
これが有名な「プエブラの決戦」で、
この日5月5日を勝利の記念として、
「シンコ・デ・マジョ」
(Cinco de mayo=5月5日)
として祝日に制定されているんです。
「シンコ・デ・マジョ」、
メキシコの人が多く住んでいる
アメリカやカナダにいる人でしたら
聞いた事があると思います。
その決戦の地が、
プエブラ州にある
「グアダルーペの要塞」
メキシコ軍がフランス軍に勝利した際、
サラゴサ将軍がベニト・フアレス大統領に、
「我々の武器は栄光に包まれている!」
と報告したとか。
しかぁ~し、
貪欲なフランスはまだ諦めません。(呆)
その一年後、
1863年5月31日にこのプエブラの地に戻ってきます。
しかも3万人も補強して・・・
近くのテワカン(Tehuacan)という街には、
メキシコ人でありながらフランスを援護する保守派が陣取っていました。
危険を感じたベニト・フアレスは、
首都メキシコシティから非難します。
向かった先は・・・
エル・パソ・デル・ノルテ。
これ、
今はもう地名として残っていないのですが、
アメリカとの国境に接する、
シウダー・フアレス(Ciudad Juarez)
という街です。
彼はココで約4年に渡って職務にあたります。
近年では、
麻薬闘争のお陰ですっかり悪名高き街になってしまいましたが、
こんな歴史があるんですよぉ。
そんな事で、
欲深いフランス人に国の中枢に入りこまれてしまったメキシコ。
これからどうなるんでしょ~・・・
続きは次回に。
#MexicoCentralTours
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