「答え」を見つけない事もまた一つの「答え」
メキシコ在住15年目、
「メキシコの素顔を世界に!」
をモットーに、
メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。
未だに「信じられない」ことがあるんです。
☝サラリーマン時代の僕。
よく日本酒のセミナーやイベントをやっていました。
自慢ではないですが、半ば趣味でこんなことを沢山していたら、
メキシコでの日本酒ブームに火がついたんです。
今日は僕の独り言なので、
ご興味無い方はまだ後日に覗いてください~
コロナで家に閉じも持って早8ヵ月。
閉じこもったと言っても、
過去数カ月はアカプルコに行ったり、
ケレタロの国定公園に行ったり、
最近は田舎に滞在したりしていて、
以前のように、
「気付いたらストレスが溜まっていた」
なんて事は減りました。
ストレスのバロメーターって、
僕の場合はすぐにイラッと来ることが一つあるんですが、(苦笑)
最近はそれが少ない、
というかないです。(笑)
あとは、
「笑えない」
もあります。
無意識にストレスがたまっていて、
無意識に何かに心配していたり、
無意識に疲れていると、
「笑えなくなる」んですねぇ。
「あ、そう言えば最近爆笑していないなぁ」
と感じると、
「ヤバい、少しをリズムを変えねば・・・」
と思うのです。
サラリーマンを辞めて、
自分で事業を始めたわけですが、
カッコ良く言えば「独立」とか「自営業者」、「フリーランス」、
悪く言えば「プータロー」だったり「無職」だったり。(笑)
たまにその境界線って、
なんだろうとも思います。
一銭でも稼いでいれば、
「無職」
ではなくなり、
「自営業者」といえるのか。
会社員時代より稼いでいても、
このコロナ禍で一気に売上ゼロになったとたんに、
「プータロー」になってしまうのか。
そこで思うんです。
そんな適当な「肩書」なんて、
本質的に自分を定義するものではない、
ってことです。
フリーランスでも無職でもプータローでも、
「外向けの肩書」なんて
ぶっちゃけ僕には何でもいいってことです。(苦笑)
なぜならば僕には、
誰かに言おうが言うまいが、
人が理解しようがしまいが、
仕事があろうがなかろうが、
「メキシコの素顔を紹介するガイド兼ドライバー」
という「不動の肩書」があるから。
その一方で、
会社員をしていた時というのは、
食品大手の子会社だった、
という事もあり、
一応「真っ当」な人生を歩み始めた、
とも思っていました。
一応「~という会社の子会社のメキシコ法人で働いています~」
と言って名刺でも差し出しておけば、
自己紹介の体裁はある程度整いました。
でも今はその後ろ盾、
つまりブランドや組織がない。
そこでたまに思うんです。
「おれは本当に組織から出た人間なんだなぁ」
「この世の中で一人なんだなぁ」
と。
もちろん嫁や家族、友達やガイドの仲間
そして、
こうしてキオテを欠かさずにご愛読頂いている皆様の存在もありますが、(感謝!)
これまで学校や職場という組織に
ずぅ~っと属してきた人生を振り返ると、
未だに
「信じられない」
ときがあるんですね。(笑)
☝悪い意味ではなく、
不思議な感覚ですが、
生きている感があって、
結構心地良いんです。(笑)
一方で客観的に考えてみたりもします。
「これは自信の無さの表れなのか?
いや、不安な気持ちはむしろ減った、
というか無いに等しいのに・・・」
「収入が無いからか?
じゃあ、収入があれば信じられるのか。
ん~、それもちょいと違う・・・」
なんて風に。(笑)
考えても絶対的な答えが出るわけではなく、
常に絶対的な「答え」を探し出そうという、
ある種の完璧主義の裏返しなのかもしれない、
なんてことも思ったり。
メキシコのご先祖様たちは、
自然現象の「答え」を探し、
それを征服しようとしたのではなく、
天の神様達の存在を信じ、
それらの神様達との“同化”や
一種の“共存”によって、
自分達の生活を維持しました。
それが“ピラミッド”をはじめとする建造物であったり、
生贄や球技、
ボラドーレス、
テマスカルなどの宗教的儀式でした。
僕なんかのように
現実を「信じられない!」といっているのではなく、(苦笑)
「その中で適応して生きる」
ということですね。(笑)
まとまりが無いですが、
独り言なのでご容赦ください。(笑笑笑)
ではまた明日~
#MexicoCentralTours
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