オアハカを1300年にも渡り支配したモンテアルバンの話・最終回(4/4)
メキシコ在住15年目、
「メキシコの素顔を世界に!」
をモットーに、
メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。
1300年以上もオアハカを支配したモンテアルバンの話・最終回(4/4)
今日が最終回です。
バックナンバーはこちらです~
【モンテアルバン・1/4】キオテ通信 【モンテアルバン・2/4】キオテ通信 【モンテアルバン・3/4】キオテ通信
この場所はオアハカ地方の宗教的、商業的な中心地だった上、
重要な陶器の製造拠点でした。
その特徴として、
彼らの多神教の神コスィホ(Cocijo)の柄
が入ったものが多数発見されています。
その他に、
儀式で踊っていると思われる人や、
貴族と思われる人物像が彫られた石碑も見つかっていて、
そこには“文字”もみられます。
メソアメリカの文字と言えばマヤが有名ですが、
ここサポテカ文化にも文字が使わていたのです。
サポテカの繁栄の時期は、
テオティワカンのそれと重なるという事は、
先日も書きましたが、
その証拠というのが、
ここから出土した陶器の形状から裏付けられます。
テオティワカンのスタイルに酷似しているのです。
またテオティワカンは、
メソアメリカ版“多民族国家”
であったことは既に何回か書いていますが、
テオティワカンのサポテカ地区(各部族ごとにエリアが割り当てられていた)に
その関係の強さを表す痕跡が見つかっています。
テオティワカンの全盛期紀元200年頃から
500年ぐらいのものだと考えらています。
モンテアルバン遺跡がある山の頂上付近(冒頭の写真)のエリアには貴族が住んでいて、
その周り、山の斜面一帯には一般人の居住区画があったと考えられています。
特に東と北の斜面です。
その一方で、
他の部族から攻撃を受けた際は、
モンテアルバンが要塞の機能を果たし、
住民をかくまったと考えられています。
そんな巨大で強力な権力を長期に渡り保っていたモンテアルバン。
突如として800年~900年頃に放棄されてしまうのですが、
その原因は内政によるものと考えられています。
首都としての機能がなくなったあと、
サポテカの中心地は南のヤグルやミトラへと移ります。
☟この辺
その一方で、
サポテカ人によって放棄された後も、
この場所は地域の住民によって神聖な場所として敬われ、
墓にお供え物をする習慣が続きました。
その後隣人のミステカ族によって居住が始まり、
スペイン人の到来まで続きます。
この場所がミステカ族にとっても神聖な場所だったというのは、
通称「第7の墓」から見つかった、
大量の金の装飾品からも窺い知れます。
☟モンテアルバンから出土したミステカの金の装飾品。
(出典:Arquiología mexicana)
なぜミステカ文化と分かるのかというと、
冶金はサポテカ文化にはなく、
隣のミステカが、
メソアメリカ有数の冶金術を持っていたからです。
この冶金技術は南米からオアハカのミステカ族に持ち込まれたと考えられています。
オアハカを千何百年にもわたって支配していた巨大都市モンテアルバン。
電話も監視カメラもSNS もズームも無い時代に、
どうやってそれだけの長期にわたり、
広域をコントロールしていたんでしょうね~。
逆に考えれば、
それだけ強大な人のリーダーシップがあったという事です。
観光地だけでなく、
この距離感も実際に現地で感じられるといいでしょう。
それが陸の旅の醍醐味でもあります!(笑)
そんな、
ネットやガイドブックに書かれているような、ただ「カワイイ」だけじゃないオアハカ。
ウン百年前の当時を想像頂き、
その「年月」に想いを馳せて楽しんで下さい。(笑)
では~
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