「君の夢は?」という質問
「将来やりたいことは?」「夢は?」「好きな事は?」「得意な事は?」・・・
僕が大学に入ったばかりの頃から20台後半に回帰してみれば、僕の答えはそれら全ての問いに対して「わからない」でした。だから人と話していてそんな話題になると、いつしか「自分の好きな事を偽っている」自分が出来ていました。だってそうでもしないと会話にならないし、「分からない」なんて言ったら相手にしてもらえないと思っていましたから。
「わからない」と分かった時は、正直「このままだとヤバい」と思い焦りました。だって色んなところで「夢は大きく持て!」とか、「好きな事を仕事にしろ!」とか、有名な人達も言っていましたから。自分は世の中の役立たずなんだとも思ってドンドン落ち込んでいきましたね。
でもある時思ったんです。取りあえず目の前のできることをやろうと。それしかない。自分には寝床もあり、一応毎日食えていて、友達も一応一人はいる。一応大学に入れるような頭と一人で生活できる四肢もある。好きか嫌いかも分からないけれど仕事も見つかった。巷には、物乞いする小さな子供たちがいる。恵まれない環境に生まれ育った大人もいる。彼らに比べたら自分は何て恵まれた環境に生まれ育ってここにいるんだろうと。
ちょっとあまりにも理由を求めすぎるのは良くないと思いますね。「こうあるべきだ」と。考えられないときはしょうがない。あたふたしても、分からないものは分からないんです。ホントに。しかもそういうものって、頭で考えてある日突然「見つかった!」となるものではないじゃないですか? それが「自分の好きな事を偽っている」ってことなのです。
大事なのは、取りあえず得たものを一生懸命やってみてみることですね。僕の場合は運よく日本文化を外国で広める仕事に就けました。そんな仕事のこと、履歴書を見てもらう為に会社の扉をノックするまで知りもしませんでしたよ。好きか嫌いかも知りませんでした。むしろ不安でしたね。でもやってみたら面白かったのです。しかも数字もついてきました。それからはもう無我夢中でやりました。飛び込み営業は100件ぐらいはやったでしょうか。新規開拓だけで年間3億円の売り上げになりましたね。
「やりたいことがない、夢が無い」という人は、目の前の事や趣味などを一生懸命やり続けてみればいいんです。それがいつかは何かのベースになり、それを活かせられる時が必ずきます。僕は他の人達の平均値より10年遅れていると思っていますから。たとえば、同級生は20台半ばで結婚してもう10歳近くになる子供がいるんです。僕は30半ばでやっとこ結婚できたところです。他の人達は大学生の頃には「こうなりたい」とか「こういう仕事がしたい」と分かっている場合が多かったのだと思いますが、僕はやっと30手前ぐらいで「この仕事いいな」と思えました。それがこの仕事にも繋がっています。
この少年は5歳ぐらいです。メキシコのお菓子を売り歩いていました。おそらく学校にも行っていないのでしょう。安易にお金をあげるのは良くないのは考えつつも、彼の「生きるための仕事」を目の当たりにしたときに、「頑張れ!」の意味を込めて彼のお菓子を買いました。あどけない純粋な笑顔が印象的でした。