もしメシカ(アステカ)がプレペチャと同盟を結べていたら・・・?(1/2)
メキシコ在住16年目、
「メキシコの素顔を世界に!」をモットーに、
複雑で広大なメキシコを【お得】で【楽】で【濃厚】な完全プライベート日本語ツアーで、 いつかまた戻ってきたくなるメキシコ旅行を提供しています、 公認日本語ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。 今日も呑気にメキシコから書いています~ もしメシカ(アステカ)がプレペチャが同盟を結べていたら・・・? 皆さんもよくご存知のメシカ(アステカ)が、 スペイン人に乗っ取られ滅亡してから今年でちょうど500年です。 1521年8月13日の話なんですが、 スペイン人は、 メシカ帝国と敵対していたトラスカラ人部隊と、 一部のトトナカ人部隊を引き連れ、 当時、現メキシコシティ一帯にあった湖に“戦艦”を浮かべてですね、 メシカの首都テノチティトゥラン(現メキシコシティ中心部)を討ったのでした。 これにより、 「湖に浮かぶ島に生えるノパルに留まったワシがヘビを咥えている場所にアステカの街を造るのだ!」 というお告げに基づいて建設が始まって以来、 約200年続いたメシカの繁栄はその幕を閉じたのです。 日本は信長が出て来る40年ぐらい前、 室町時代の末期に差し掛かる頃でしたでしょうか。 このスペイン人の侵略の裏には、 実はメソアメリカの土着の人達の“協力”であったり、 見方によっては“裏切り”があった事はあまり知られていないのでは? メシカは“たった”200年、 正確にはトリプレアリアンサっていう、 メシカと周辺の2国(部族)による“3国同盟”が、 1428年に覇権を握って以来たったの98年で、 メソアメリカの400以上もの部族や都市を支配下に治め、 メソアメリカ最大の勢力を誇りました。 が、 やはりそうなると対立も生まれるわけです。 拡大し過ぎたために、 各地で反乱が起こっており、 これがメシカ帝国の脆弱性となったのです。 というのも、 メシカ側は支配下に置いた部族グループに、 達成が困難な“年貢”を強いていたから。 達成できないと村を焼き払うなど、 残虐行為に走っていたのでした。 このメシカの不当な扱いに反旗を翻したグループが、 有名な所で3つあるんです。 メキシコ湾側のトトナカ族、 メキシコシティの東150キロの所にあるトラスカラ族、 そしてメキシコシティの西に広がるプレペチャ族です。 各部族の位置関係はこんな感じ☟

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