初めて真の民主化を目指したメキシコの大統領ベニト・フアレスってどんな人/その2

メキシコ在住15年目、

「メキシコの素顔を世界に!

をモットーに、

メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。

 

なんか最近、

知らぬ間に複雑さがアップしていて、

「チンプンカンプンでもう分からんわ!」

という方も多いと思います。(苦笑)

 

ご心配なく。

僕はある理由があって、

それを承知で書き続けていますので、

分からなくても大丈夫です。

メキシコでちゃんとご説明します。(笑)

 

ですので、

適当に、

疲れない程度に、

メキシコがキライにならない程度に(笑)

流し読み、

飛ばし読みして頂ければと思います。

 

はい、「建国の父」の続きです。

前回のその1をまだご覧になられていない方は、

こちらをどうそ。

【その1】ベニト・フアレス

 

ヨーロッパ人達が航海に出始めた大航海時代、

ヨーロッパは宗教、

つまりカトリックに支配されていました。

アメリカ大陸を植民地化し始めた理由の一つも布教でした。

 

そんな人たちが、

300年に渡って、

スペインの植民地だった、

メキシコを支配していたんです。

 

「教会がナンバーワンだから従え」

と。

 

つまり、

当時のメキシコの社会は、

カトリック教会を中心に回っていたんです。

 

折角スペインから政治的に“独立”してもですよ、

人間の心を支配しているのはカトリック。

独立戦争を終わらせた連合軍の3つの保障にも、

やっぱり「宗教」が盛り込まれていました。

 

一言で言えば、

教会の名の元、

聖職者たちはやりたい放題やっていたわけです。

特権だったり、

財産だったり。

 

弁護士であるフアレスは、

最高裁判所長官としてイグナシオ・コモンフォート大統領の元、

新憲法の整備に携わります。

そしてコモンフォート大統領は1857年、

新憲法を公布します。

 

が、

 

これに保守派が猛反対します。

保守派というのは、

カトリックを重んじる人達です。

 

というのも、

新憲法はリベラル色で、

それまでのカトリック教会の権力や、

教会の資産を没収できる権限が盛り込まれていたからです。

 

自分達のそれまでの特権が根源から揺るぐという事態に焦った保守派は、

コモンフォート大統領に脅しをかけ、

ビビった大統領はこの新憲法の交付をキャンセルし、

国外へ逃亡してしまうのでした。

☝凄い事態ですよね。(笑)大統領が暗殺を恐れて国外逃亡ですよ。

この新憲法のキャンセルを、

通称プラン・デ・タクバジャ

と呼んでいます。

 

この緊急事態に“暫定”大統領の座についたのが、

ベニト・フアレスさんでした。

というのも、

当時のメキシコには、

副大統領制というのがなく、

その代わりに、

最高裁長官が大統領になるようになっていたんです。

 

保守派はこれにまたもや抵抗。

武力で抵抗し、

これにフアレスは危機感を感じ、

グアナファト方面に閣僚たちと逃げるのです。

 

ここからまたもや、

“内戦”が始まります。

 

前回の独立戦争は、

スペイン植民地政府と、

独立軍でした。

 

今回は、

カトリックの特権を死守したい保守派と、

本当の“民主化”を進めたいリベラル(改革)派のフアレス政権との争いです。

これが3年も続くことから、

「ゲラ・デ・トレス・アニョス」

(3年戦争)

まはた、

「ゲラ・デ・レフォルマ」

(改革戦争)

と呼ばれているんです。

 

改革って、

それまでの教会による特権支配を、

政治から分離するということです。

いわゆる政教分離。

 

しかも、

メキシコの土着民族の血が入っているフアレスによって

です。

 

だから、

メキシコの「父」

なんですね。

 

フアレスは、

非難先から、

「レジェス・デ・レフォルマ」

(改革法)として、

8つの権利を制定するんです。

これが重要です。

 

1. 教会の国有化

2. 婚姻制度の導入

3. 住民登録制度の導入

4. 教会の墓地管理権の剥奪

5. 政教分離(政府関係者は教会の役職につけない)

6. 信仰の自由

7. 病院や公共施設の俗化

8. これを破った宗教団体は追放

 

このころ、

保守派は保守派で内部分裂していました。

 

フアレスのリベラル軍は、

保守派に打ち勝ち、

3年戦争・レフォルマ戦争は終結。

フアレスは1861年に、

“無事に”首都メキシコシティにもどるのでした。

 

だ・か・ら、

民主主義、

ホンモノの独立国家としてのメキシコの父、

として敬われ、

空港の名前にもなっています。

 

フアレスの出身地オアハカも、

正式名称はオアハカ・デ・フアレス、

と呼ばれるのはこのためなんですねぇ。

☝オアハカ市を望む高台にあるフアレスさんの像

 

アカプルコも、

正式名称はアカプルコ・デ・フアレスなんですよぉ。(笑)

 

その一方で、

金持ち保守派の、

フアレスへの恨みは消えるどころか、

あり得ない、

愚行へと走らせるのでした・・・

 

その末路とは・・・

 

次回説明します~ (笑)

 

#MexicoCentralTours

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