マヤの出身地はユカタンではなかった!?今も言葉で繋がるマヤとウァステカの文化(後編・3/3)

メキシコ在住16年目、

「メキシコの素顔を世界に!をモットーに、

複雑で広大なメキシコを【お得】で【楽】で【濃厚】完全プライベート日本語ツアーで、 いつかまた戻ってきたくなるメキシコ旅行を提供しています、 公認日本語ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。   今日も呑気にメキシコから書いています~   マヤの出身地はユカタンではなかった!?今も言葉で繋がるマヤとウァステカの文化(後編・3/3)   前回の続きです~ [su_button url="https://mexicoct.com/blog/huasteca-1/" style="flat" background="#e673b5" size="5" radius="round" icon="icon: chevron-right" text_shadow="0px 0px 0px #000000"]ウァステカ・前編[/su_button]   [su_button url="https://mexicoct.com/blog/huasteca-2/" style="flat" background="#e673b5" size="5" radius="round" icon="icon: chevron-right" text_shadow="0px 0px 0px #000000"]ウァステカ・中編[/su_button]   ウァステカ文化は、 メソアメリカの3大長命文化の一つで、 その始まりはオルメカ文化と同じぐらい、 という所で終わりましたね。   そう気づかれた方はキオテ賞を授与させて頂きます。(笑)   同じころ(起源前1500年頃)、 オルメカはベラクルスのサンロレンソという場所で、 初期の文化の形成が始まり、 その後のメソアメリカの世界観の礎となる部分をつくる事になります。   だからオルメカ文化は、 「メソアメリカ最初の文化」、 「母なる文化」 って呼ばれるわけですが、 ウァステカはというと、 そこまでの推進力は無かったようです。   このエリアで、 人が集まって、 集落が形成され、 定住が始まり始めたのが起源前1500年ぐらいの話、 それがクラシコ期(AD200~900年)に文化的な部分が急速に発達、 900年以降に全盛期を迎えたと考えられています。 日本史に当てはめれば、 縄文時代に始まって、 大和・飛鳥時代に発展し、 平安時代から室町にかけて全盛期という具合です。   片や、 同じくメソアメリカ3大長命文化である オアハカのサポテカは、 紀元前500年頃には、 あの巨大都市モンテアルバンの建設が始まり、 AD800年頃にはその都市は衰退します。   ウァステカは大器晩成型。(笑)   ちなみにウァステカはHuastecaと書くんですが、 この語源、 実はcuextécatl(クェステカトゥル)から命名されています。 ウァステカの定住地へと導いたかれらの「ヒーロー」の名にちなんだとか。   話はまた縄文時代にもどりますが、 マヤが出て来るのは、 紀元前2000~900年ぐらい。   といっても幅が大きいんですが、(苦笑) 読む資料によって異なるんです。   しっかり特定できないのも無理ないですね。(苦笑) 大昔ですから。   でもそれぐらいの時期に、 何らかかの要因で、 ウァステカからマヤ系のグループが離脱して行ったと考えられています。 ☟このあたりからこんな風に。 👆ちょいと分かりにくいカモしれませんが、 ウァステカとマヤの間にトトナカとナワ系が入って分離、 マヤは南東のユカタンの方に行きました、 といういう事を言いたいのです。(苦笑)   一説によると、 ジョワリチャンやエル・タヒンなどの大都市や、 クィアウィストランやセンポアラなどの歴史の転換地となる都市を造ったトトナカ族、 そして北西の方から移住してきたナワ系の部族が、 ウァステカとマヤ系の部族の間に入り込み、 分離が決定的になったというもの。   でも、 ナワ系の部族がこのメキシコ中東部に達してきたのは、 僕の理解によるともっと後の話で、 紀元前600年以降だと思うんです。   となると、 その頃には後のトトナカ文化の繁栄地に既に達していたと考えられるトトナカ族が、 主に両者の分離を進めたのか?   僕はそうだと結論付けています。(苦笑)   物理学や経済学のように、 それを証明するための公式があれば良いのですが、 いくら考古学いう科学と言えども、 バシッと寸分のくるいもなく論理的に説明することって不可能です。   だからと言って、 これって全くの神話ってわけでもない。 ちゃんと考古学、民俗学、言語学っていう科学に基づいて出されている数字です。   あと大事なのは、 ウアステカ文化圏は特に農業が盛んだったそうです。   高温多湿という土地柄、 土地が肥沃なんですね。   作物は他の地域とそれほど変わらず、 定番のとうもろこし、 カボチャ、 唐辛子、 ズッキーニ、 インゲン豆など。 海沿いでは塩もつくっていました。   大量に収穫できていましたが、 灌漑設備が満足に無い場所だったそうです。   それ知ったメシカ族は、 この地を「食の大地」Tonacatlalpanと名付け、 トゥクスパン(Tuxpan)などに“駐在所”をつくり定住し、 メシカの宗教的行事でもウァステカの要素を取り入れるなど、 特別な存在として扱われていたそうです。   あの高圧的で嫌われものだったメシカからですよ。(驚笑)   そんな風に、 約3000年にも渡って繁栄したウァステカ文化。   それにも関わらず、 現在では限られた地域にしか、 その文化を見ることができません。 それ以前に知名度もありません。   それはスペイン人の入植後に徐々に彼らの土地を追われたから。   南に分離した兄弟文化マヤは、 その広域にわたる密林地帯、 そして各地の分散する各有力都市という特徴から、 スペイン人による入植が遅れたと考えられ、 その文化や話者人口も、 現在にまで多大な足跡を残しています。   ケレタロから北東の方に入りますが、 1泊ないしは2泊ぐらいで、 周ってみるのも興味深いでしょう。   そこからメキシコ湾沿いに南下し、 トトナカ圏、 オルメカ圏、 そしてマヤ圏とみて行くのも面白いでしょう。   👆この辺を楽しめるってことは、 メキシコの歴史をある程度理解され、 歴史的なインパクトを感じられる方。 メキシコ上級者ですね。(笑)   いつか、 このあたりも皆さんにご案内できるようになることを楽しみにしております~(笑)   ではまた~ [su_button url="https://mexicoct.com/category/blog/" style="flat" background="#ce608d" size="5" radius="round" icon="icon: chevron-right" text_shadow="0px 0px 0px #000000" desc="バックナンバーはこちら!"]メキシコ発【キオテ通信】[/su_button]

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