オアハカを1300年以上に渡り支配したモンテ・アルバンの話・3/4
メキシコ在住15年目、
「メキシコの素顔を世界に!」
をモットーに、
メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。
オアハカのモンテアルバンの話・3/4
先ほど日本時間の午前5時ごろに、
無事にメキシコシティ空港に到着しました。
メキシコの匂い、荒っぽい運転、整っていない街並み、帰って来たぁ〜という感じです。(笑)
久しぶりのメキシコからの投稿です。
ところ変わってもやる事は淡々とやるだけですので特に変わりはありませんが、
どこにいても仕事できるっていいですね。(笑)
さてさて、
前回の続きです。まだの方はこちらからどうぞ~。
【その1】モンテアルバン【その2】モンテアルバン
いつオアハカバレー一帯にオルメカ人が至ったのかハッキリしませんが、
その一帯に人が住み始めたのが起源前1400年ごろとされています。
この一帯には、
紀元前1000年ごろから小規規模の集落が形成され始めた、
とされています。
一つの部族だけではなく、
幾つかのグループがあったようで、
各々が自らのエゴを放棄し、
強力なリーダーシップのもと知恵や労働力を結集し、
紀元前500年ごろからこの巨大都市を建設したと考えられています。
確かに、
このような巨大な都市を、
単一の民族や部族だけで建設するのは大変です。
その母なる文化であるオルメカ文化自体は、
紀元前400年ごろには衰退してしまいます。
モンテアルバン(Monte Alban)の元の名称は解明されていませんが、
いろんな説があり、
“聖なる山”やナッツの木に咲く“白い花”を意味したのではないか、
と推測されています。
この都市の面積はテオティワカンに匹敵する20㎢もあったと考えられ、
その人口は35,000人にまで膨れ上がったようです。
この巨大都市が、
紀元前500年頃から、
最低でも800年ごろまで繁栄を続けるのです。
その間1300年ですよ!
今から1300年前の日本というと・・・
奈良時代ですね。
古事記、日本書紀、東大寺などができた時代です。
とにかく途方もなく大昔です。
でもそれだけの時間、
一つの都市として機能していた、
ということです。
あの有名なテオティワカンだって800年ぐらい、
多くの人が行きたがるチチェンイッツァだって繁栄したのは200~300年ぐらいです。
アステカで知られるメシカなんて200年弱です。
これ程長命の都市というのは、
メソアメリカのどこを探しても無いに等しいのです。
そんな類を見ない長命の都市だったモンテアルバン。
いったいどのような都市だったのでしょう~。
モンテアルバンはですね、
オアハカの中心部から
西南西に4キロの所にあります。
立地は600mの山の上。
海抜1500mです。
都市全体で20㎢ほどですが、
その中心部分は6.5㎢ほど。
山の頂上部分にあります。
その中に宗教的建造物や居住区画、
石碑や墓など、
多数の建造物があります。
墓の数は顕著で、
“一般の”埋葬地とされる場所は500ヶ所、
貴族と思われる人たちの墓は260にも上ります。
メソアメリカの3大長命文化サポテカの首都として、
広大な領域を支配下に置いていました。
支配下に置かれた地域からは、
主食であるトウモロコシや、
豆、カボチャなど、
食料を中心にこの首都に納められました。
地方の商人たちは、
このモンテ・アルバンにやって来ては、
物々交換など行いました。
広大なオアハカ地方の交易の中心地だったモンテアルバン。
その他にはどのような特徴があったのでしょう・・・
続きは次回で~
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