メキシコの音色:手回しオルガン(オルガニジョ)
メキシコの音色:手回しオルガン(オルガニジョ)
オルガニジョ。
Organilloと書きます。
日本では手回しオルガンとか、
バレルオルガン(Barrel organ)と呼ばれているみたいです。
☝☝☝メキシコシティ歴史地区マデロ通りで
メキシコのセントロ(メキシコシティ歴史地区)に
行かれた方であれば一度はその音色を聞かれたことがあると思います。
今やメキシコを連想させる音であり、
これを聞けば「メキシコだ!」と思う音色です。
メキシコでの歴史は、
1800年中頃にさかのぼります。
実はこれ、
メキシコ原産ではなく、
元々は1800年中頃(江戸時代の末期)にドイツから輸入された“楽器”なのです。
メキシコは独立戦争(1810~1820)が終わって30年ぐらい経った頃でした。
メキシコ以外では、
チリとアルゼンチンでも聞けるようですね。
今でもお店があるのですが、
楽器屋のRepertorio Wagnerの創業者である、
WagnerさんとLevienさんが、
本業のピアノ修理と組立工の他に、
オルガンとオルガニジョの扱いも始めたのです。
この楽器店自体は創業1851年で、
現在はRepertorio Wagnerという名前でご商売されています。
一方で、17世紀後半には
当時のヌエボ・エスパーニャ(当時メキシコという国はなく、スペインの植民地でした)で、
オルガニジョの音色が響いていたとも記録がありますが、
本格的に広めたのは楽器屋のオーナであった、
WagnerさんとLevienさんという事になります。
(出典:https://www.excelsior.com.mx/nacional/este-es-el-origen-de-los-organilleros-en-mexico/1324238)
彼らはドイツから輸入したオルガニジョを、
日銭が必要な人達へのレンタルをはじめます。
これが現在のオルガニジョを弾く人(オルガニジェロ)の原点です。
次第に認知され、
後に本国ドイツで製造されなくなった後にも続けられました。
現在も、
特に人通りが多いメキシコシティ歴史地区のマデロ通りや、
レフォルマ通り、
ベジャスアルテス劇場前などで、
その音色が響き渡っています。
その可愛らしい音色の一方で、
それを弾く人たちの日常は過酷なものです。
大概のオルガニジェロは、
中心部の“職場”までバスで2時間近くかけて、
毎日通っているんです。
しかもこのオルガニジョの重さはなんと40キロもあるんです!
それを毎日担いで、
バスにのり、
演奏する場所を変えながら演奏します。
一日最低8時間。
それでこの演奏者の皆さんは、
日に一体いくら稼いでいるのか。
可愛らしい音色が聞こえてくると、
大体必ず2人一組、
場合によっては3人が、
演奏以外の人達が帽子を裏返して、
チップをお願いしてきます。
この時のチップは人にもよりますが、
5ペソだったり10ペソだったり。
日本円で30~60円ぐらいです。
確証が持てる情報源を得られていませんが、
どうも国からいくらかの“給料”が出ているとも聞いたことがありますが、
定かではありません。
このオルガニジョですが、
基本的にレンタルなのです。
日に150~200ペソ、
日本円で900円から1200円ぐらいを、
オーナーに支払い、
仕事をしています。
このレンタル料を得るには、
仮に1人平均5ペソ(30円ぐらい)を貰ったとしても、
最低30人からチップを貰わなければなりません。
話によると、
日によってはこのレンタル料も出ない事があるそうです。
仮に計50人から5ペソのチップが貰えても、
2人でやれば折半です。
そうすると1人50ペソずつ。
日本円で300円です。
しかも8時間以上も働いてです。
そんな彼らにもコロナ禍の影響が出ています。
外出自粛要請のために、
シャッターが下り切ったセントロ地区。
もちろん人通りはなく、
日銭など稼げるわけがありません。
そこれ彼らは仕事場を変え、
住宅街の道でその音色を奏でて、
この危機を脱しようとしています。
☝☝☝演奏場所を拙宅近くの住宅街に移し演奏
中には卑劣な言葉を投げかける輩もいるようです。
状況に関わらず、
“メキシコの音色”を守るべく彼らの仕事を理解し、
協力しようではないですか!
もちろんチップはお心付けなのですが、
彼らの固定費が150~200ペソ(900~1200円)を
目安にしてみて下さい。