メキシコ在住16年目、
「メキシコの素顔を世界に!」をモットーに、
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公認日本語ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。
今日も呑気にメキシコから書いています~
マヤの遺跡に行くなら知っておくべきこと。
☝☝☝エツナ
「マヤ文明」って、
学校の世界史の授業でも少し教わりましたね。
受験にも出てましたっけ?
先日、
マヤのご先祖さん達は、
ユカタン半島から南に広がるマヤ圏が出身ではないんです、
ってことをウァステカの所で書きました。
今日はその続きのようなもので、
マヤ文化ってどういう文化なのかってことを、
ザックリとご説明します。
もっと詳しく知りたい!
という方は、
メキシコの現地をお尋ね頂く事を強くおススメします~。(笑)
あと、
マヤ関連ですと、
マヤ暦の占いがはやってるとか?
ん~、マヤ暦は良いですが、
「占い」ってのが眉唾物に見えて仕方ないですが。(苦笑)
なんでマヤ暦が占いになって占いがマヤ暦になるのか。
気になったので、
マヤ暦と占いについてはまた別の機会に書きたいと思います~。(笑)
ちょいと細かい話になりますが、
僕は「文化」と「文明」と棲み分けています。
マヤの場合は文化と呼んでいます。
マヤとかオルメカとかメシカとかプレペチャとかサポテカとか、
そういった色んな文化が寄せ集まって、
約3000年に及ぶメソアメリカ文明を形成していた、
ということはこれまでに書いてきました。
呼称を区別するしないは大事ではなくて、
大事なのは、
マヤ文化が独立した存在ではなく、
小さな国のような文化が共存していたということ。
今から500年前まで、
今のメキシコがある地域、
特に南半分に広がるエリアに存在した、
様々な独立した文化が、
今のメキシコの礎になっているということです。
だからメキシコを旅行すると、
マヤ語やナワトル語やプレペチャ語やトトナカ語といった、
いいろんな言葉が今でも話されていて、
地方に行けば様々なデザインの民族衣装で生活する人々、
ピラミッドはピラミッドでも形が違う建造物が見られるわけです。
マヤとアステカとテオティワカンの違いを知らない人が大半だと思いますが、
ココがその基本の部分なんです。
てなわけで、
「マヤ文化」とはなんぞやっていう話です。
あんまりややこしくならないように、
ザックリと書きますので、
全体像だけでも捉えて頂ければ幸いです。(笑)
そもそも、
そのマヤ文化はどこにあったのかというと、
メソアメリカ、
つまり今日メキシコがある南東の地域と、
グアテマラ、
ベリーズ、
ホンジュラス、
エルサルバドル
の中米諸国にまたがっています。
SNSを眺めていると
ビーチに続いて、
よく目にするのがチチェンイッツァ遺跡。
皆さん“ピラミッド”の前で
お写真を撮るのが恒例行事となっているようですね~。
とりあえず、
超有名観光地チチェンイッツァがどうとか、
難しい話は脇に置いておきまして、
視点をズームアウト(ずーっと上にもっていく)してみます。
グーグルマップがお手元にある方なら、
とりあえず、
有名どころのチチェンイッツァを探して頂き、
その後メキシコ全体が入る所までズームアウトして下さい。
そうすると、
メキシコのどの位置にチチェンイッツァがあるか
分かりますね。
チチェンイッツァがある所が、
北にニョキっと半島なっていますが、
そこを
ユカタン半島と言います。
そこからずーっと太平洋岸まで真南に広がる一帯が
マヤ文化圏です。
(まさに👆の地図)
実際はホンジュラスの方まで続くのですが、
大体は“そのあたり”
ということです。
だって、
当時は国境なんてなかったから。
ご覧のとおり、
その範囲は広大なものです。
どれぐらい広大かと言いうと・・・
35万㎢。
!???・・・ (笑)
日本の国土が37万7千㎢、
つまり、
日本とほぼ同じ面積がマヤ圏なのです。(驚!)
メキシコの国土に照らし合わせるとその約17.5%です。
次に、
チチェンイッツァや、
パレンケ、
カラクムル、
トニナ、
ウクスマル(ウシュマル)、
マヤパンなどの“巨大遺跡”というのは、
長ぁ~いマヤ文化の歴史の中にあった、
各地域の
“都市”だったんです。
各地域というのが県で、
それらの都市というのは県庁のようなもの、
と言った方が分かりやすいかもしれません。
とは言ってもマヤは長いです。
同じ時代に上記の都市が共存していたのかというとそうでもない、
というのがマヤの特徴でもあります。
分かりやすいところだと、
チチェンイッツァの後にマヤパンが栄えます。
有名なテオティワカン文化や
メシカ(アステカ)文化は
その文化の首都が
単一の場所に何百年という時間存在しました。
例えばテオティワカンは、
紀元前200年ぐらいから街の建設が始まり、
700年頃まで同一の場所で、
強大な影響力を持った都市として機能していました。
その間ざっと900年。
日本でいうなら義朝や清盛の平安時代から今日まで続いていたということです。(驚!)
アステカで知られるメシカは、
現在のメキシコシティの中心部、
テノチティトランに“首都”を建設し、
そこから200年弱の間に
地方の部族を支配下に置き影響力を拡大しました。
他の地域にメシカの衛星都市があったわけではありません。
一方マヤはといいますと、
大きな影響力を持った各都市が、
同じ文化の中に、
一部は同じ時代に存在していたのです。
その例が、
ティカルであり、
カラクムルであり、
パレンケ、
そしてトニナなどです。
だから「内戦」が多かった。
そのコトは石碑からも分かっていて、
大都市でも比較的短命であった理由です。
☝☝☝パレンケ
☝☝☝カラクムル
上記の都市が存在した時代を
マヤ前期と言います。
それらの都市は、
先ほどグーグルマップで見て頂いた、
南北に延びる縦長のマヤ圏の南半分に位置します。
☝☝☝黒点がマヤ後期、白・黒点が前期
前期があるなら後期もあります。
上(北)半分です。
主なところですと、
チチェンイッツァ、
ウシュマル、
マヤパン、
エツナ
などです。
☝☝☝ウクスマル(ウシュマル)
マヤ文化の特徴として、
比較的短命の“首都”が寄せ集まって、
各都市が戦争によって権力を引き継ぎながら、
有名なマヤ文化圏を約2000年に渡って形成したのです。
ちなみに
あの有名なチチェンイッツァは、
AD900~1200ぐらいまで繁栄した、
マヤ文化の中で最も“新しい”都市の一つです。
その前には、
それはもう気が遠くなるようなマヤの長く複雑な歴史が既にあったのですね。
昨年ニュースになりました世紀の大発見。
これまでのマヤの歴史が数百年延びるであろう、
都市の跡がタバスコで発見されました。
推定紀元前800年から1000年頃に建設されたと考えられています。
そうするとマヤ文化はトータルで2500年ぐらいなるのか?
いかがでしょう。
今日は地理的部分と、
マヤ文化圏の特徴をザックリ書いてみました。
紀元前2500年以降、
ウアステカ文化圏から離脱したマヤのグループは、
マヤ圏の南部の方からティカルやカラクムルをはじめとする大都市を建設し、
徐々にユカタン半島北部にむけ、
新たな都市を造っていったのです。
マヤ圏周遊の旅、
おススメですので、
ぜひ時間を作っていらして下さい。(笑)
では~
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