天下分け目の11月8日に起こったできこと。
世にある旅行や海外生活について、
ほぼ毎日行き当たりばったりに、
メキシコ現地から好き勝手に書いている、
ゆるすぎるメキシコブログ【キオテ通信】です。
成田から直行便でたったの12時間、
アメリカ・カナダの各都市から5時間以内、
2022年の年末年始の海外旅行、2023年の春休み旅行、ゴールデンウィーク、そして夏休み、
メキシコ観光は弊社におまかせを。
そこから半年強掛けて歩を進め、
今日メキシコシティがあり、
かつてアステカで知られるメシカ帝国の首都、
テノチティトランがあった現メキシコシティ中心部に現れました。
👇コルテス一行が通ったとされるルート
👇スペイン人が上陸した地点に建つコルテスの家
👇トトナカ文化最後の首都センポウァラ
👇センポウァラの姉妹都市クィアウィストラン、ここで初めてトトナカ族とスペイン人の同盟が結ばれました。
👇ベラクルス州ヒコ(Xico)にある記念碑。1519年の8月にここを通ったと記されています。
👇Xicoの谷。かつてヒコチマルコ(Xicochimalco)という町がありました。
👇チョルーラ(Tollan Cholollan Tlachihualtepetl)の虐殺の記念碑。同年10月に発生したと書かれています。11月1日に出発
👇標高3700mにあるコルテス峠(Paso de cortes)モクテスマとの謁見(11月8日)直前に通過
だからどこを「最初」とするのかは定義にもよりますが、
なんていうんでしょう、
今風に言えば「公式に」、
「両サイドの代表者同士が顔を合わせた日」、
それがヨーロッパとアメリカ大陸の文化と人間の混血が始まった日ということができ、
それが1519年11月8日、
今から503年前の今日ということです。
その現場というのが冒頭👆の写真で、
昔の地図👇に照らし合わせると、
矢印で記してある道をコルテス一行は右上(北)に進み、
大きな島(現メキシコシティ中心部)の湖畔あたりがその👆現場。
2019年11月8日には、
この大事件から500年を記念して、
今日に生きる子孫が出会い抱擁を交わしました。
👇左がコルテスの子孫、右がモクテスマの子孫
👇エルナン・コルテスの墓がある教会
👇その内部、左の赤い四角の部分がコルテスの墓
モクテスマの接見後、
コルテス一行はテノチティトランの心臓部に通され、
👇ココに宿泊しました。
当時はこの建物自体はなく、
モクテスマのお父さんアシャジャカトゥル(Axayacatl)の宮殿がありました。
最近岐阜の信長さんパレードの話題で持ち切り?ですが、
信長さんが生まれる15年ぐらい前の出来事です。
そんな超歴史的な出来事の状況を、
頭に思い浮かべながらメキシコシティ中心部をあるいてみると、
とっても興味深い時間になります。
ぜひぜひお試しあれ~
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メキシコ在住17年目のメキシコガイド兼ドライバーが、
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11月と言えば・・・
もう11月ですねぇ~・・・ 日本は大分涼しく? いやいや場所によっては寒く? なってきた頃ではないでしょうか。 太平洋の向こう、 こちらメキシコはといいますと、 なんとなく、 逆に暑くなっているような感じさえします。 僕はトレーニングと健康の一貫で、 ほぼ毎日ランニングをしているのですが、 もちろん半袖短パン、 日差しが強いので、 直射日光をなるべく避けながら走るほどです。 出産&子育てで、 ランニングを中断して半年。 ようやく先月から5㎞の短距離走で1ヵ月ほどたるみ切った身体を慣らし、 今月より8㎞コースに距離を伸ばしています。 来月には10㎞以上いけるかも。 さてさて、 メキシコの11月と言えば・・・ 「死者の日」、 そして「革命記念日」という 2大行事があります。 しかしですね、 実はもう一つ、 絶対に忘れてはならない出来事があること、 ご存じの方は少ないと思います。 いや、 ご存じでもきっと覚えていないだけ? という方が多い?(笑) この出来事については何度か、 この爆進キオテ通信で何度か取り上げてきたと思います。 で何が起こったのかと言うと・・・ アステカで知られるメシカ帝国の首長、 トラトアニ(Tlatoani)いいますが、 モクテスマ・ショコジョツィン(Moctezuma Xocoyotzin)と、 スペインからやって来た征服者エルナン・コルテスが、 初めて顔と顔を合わせたのです。メキシコの歴史というよりアメリカ大陸の歴史
👆これ、すごいこと。 当時大航海時代のヨーロッパ最強だったスペインから送られた要人(この場合は征服者)と、 アメリカ大陸の原住民、 当時最強だったメシカ帝国の首長との出会い。 👆これが意味することを知っているのと知らないのとでは、 メキシコシティ中心部の観光の楽しさが、 ウン十倍違ってくるといっても過言ではありません。 今でこそ、 いわゆる「メキシコ人」というのは、 ヨーロッパ人とアメリカ大陸の原住民との混血、 「メキシコ」という国の国民のアイデンティティは、 「混血」なのですが、 この出会い以前には、 ヨーロッパ人の血や文化と、 アメリカ大陸の原住民の血や文化は、 混ざっていなかったわけです。 もっと範囲を広げると・・・ アメリカやカナダだって、 当時英語なんて話されていなかったし、 いわゆる「白人」とか「黒人」と呼ばれる人たちもいなく、 教会という建造物や、 キリスト教という宗教だってなかった。 それがですね、 今から503年前の1519年11月8日の、 このモクテスマとコルテスの“出会い”から、 アメリカ大陸における最初の人間と文化の混血が始まったのです。 もっとも、 詳しいことを突き詰めれば、 コルテスよりも前に、 アメリカ大陸(マヤ)の原住民と“結婚”し、 子を儲けていた人物はいます。 彼の名をゴンサロ・ゲレロさんと言うんですが、 彼らの子供がアメリカ大陸で最初の「メスティソ」と考えられています。 👇ゴンサロさん一家、奥さんはマヤ人
メキシコへの上陸からメシカ帝国への道のり
コルテス率いるスペイン隊が、 メキシコ湾側のベラクルスに上陸した日が同年4月22日、














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