重大な事件の跡地に建つサン・イポリト教会の話。

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あの年、あの日、あの夜の出来事。

 

👆この彫刻が意味していること。重大です。

 

今日はフアン・ガブリエルさんの、

「Asi fue」を聞きながらどうぞ~

 

この教会がこの場所に建造されたワケ。

続きです~。

前回はこちら👇

メキシコの教会建築を楽しむ方法メキシコ発 生ブログ

 

前回はメキシコの教会巡りを楽しむ方法という題名で、

カトリックとは何ぞや、

そして数多くあるカトリック教会の中で、

時代による違いなどをザックリと書きました。

 

で、

今日はそんな数多くある教会の中で、

さらに重要なもののひとつ、

サン・イポリト教会をご紹介します。

 

この教会は、

いわゆるメキシコシティ中心部からちょ~っと外れているので、

一般的なツアーでは周ることは少ないでしょう。

僕は敢えてご案内させて頂いているんですが、

理由はメキシコで起こった大事件が絡まって分かり易いから。

 

その大事件というのは・・・

 

メキシコ通の方でしたらご存じでしょう。

通称「悲しき夜」と呼ばれる、

スペイン人とメシカ人の大決戦です。

今は「勝利の夜」と改名されています。

 

時は信長さんの時代の40年ぐらい前?

1520年の6月30日の夜から7月1日に掛けて起こった、

メシカ(アステカ)人のスペイン人に対する反乱です。

 

この反乱の詳細はまたの機会に書きたいと思います。

またはメキシコで現地を歩きながらですね、

その場の雰囲気を感じて頂きながらご説明いたします~

 

とにかく1520年6月30日から7月1日未明にかけて、

歴史に残る大反乱があったということ。

この反乱時にですね、

コルテス率いるスペイン人は、

一目散に逃げることになります。

 

先日も少し書きましたが、

その逃走経路というのが、

タクバ通り。

👇ここ

金塊発見場所の矢印の左側の大通りを渡った角がサン・イポリト教会

 

当時は今日のメキシコシティ中心部一帯は湖に浮かぶ島だったんですが、

北・西・南に橋がかけられていて、

対岸に繋がっていたんです。

で、

スペイン人たちは岸に一番近い西の桟橋方面へと逃げます。

その島の西の湖畔👇

中央の大通りを中心部から手前に逃走。

サン・イポリト教会は岸と湖の境辺り。

アステカ帝国の首都メシカ帝国の地図

 

この辺りに橋が架かっていたんですが、

水辺からメシカ人の猛攻に遭い、

スペイン人は抱えていた金塊ごと湖に落ちます。

その夜だけで600人、800人ともされるスペイン人が、

この西の湖畔で命を落としたとされています。

 

はい、もうご想像つきますでしょうか?

その現場というのが、

このサン・イポリト教会が立つ場所なんです。

👇これがサン・イポリト教会付近の地下から発見された、

「悲しき夜」に沈んだとされる金塊。

 

で、

今日見ることができるサン・イポリト教会というのは比較的新しいもので、

その建造は1740年です。

でもこの場所がある意味「聖地」のようになった背景には、

その1520年7月1日の反乱の後にですね、

スペイン人が連れて来ていた奴隷のフアン・ガリドが、

大勢のスペイン人たちの死を悼み、

今のサン・イポリト教会がある場所に小さな社を建てたそうです。

Ermita de martiresと呼ばれたそうです。

これが、

この教会がこの場所に建造された理由なんです。

社であって、

ミサを行うような今のような教会ではなかったようです。

 

メシカの終焉の日。

で、が続きますが、(苦笑)

翌年、

1521年8月13日、

この日にまた大きな戦いが起こります。

この日をもって、

アステカで知られるメシカ帝国は、

その歴史に幕を下ろし、

それが意味することは、

メソアメリカ最初の大文化オルメカ以来、

3300年にも渡って続いたメソアメリカ文明が、

スペイン人の手に落ちたということ。

 

もちろん、今のように電話も飛行機もありませんから、

8月14日に大統領就任式が行われて、

あらたな国家ができたわけじゃありません。

公式には8月13日がメシカの終焉とされていますが、

実際には、

最後のマヤの小都市タヤサルがスペイン人の手に落ちるのは1697年のことです。

この後180年弱に渡って、

ヨーロッパの影響が届かない文化を保っていました。

 

この8月13日という日。

偶然か必然か。

エルナン・コルテスは、

この日を決戦の日と決め、

メシカを打倒し、

そしてフアン・ガリドが建てた社の場所に、

勝利を祝い教会を建設します。

これが現在の教会の前身で、

サン・イポリト教会と名付けられました。

サンイポリト教会の正面部分に塔が二つと中央部にレリーフがみえる

👆中央部の彫刻がローマ帝国の戦士の装いのサン・イポリト

 

イポリトってだれ?

イポリトってカトリック教会の聖人なんですが、

彼はローマ帝国の戦士だったんです。

ご存じの通り、

ローマ帝国はもともと多神教だったんですが、

皇帝コンスタンティヌスのミラノ勅令までキリスト教が禁止されていました。

でもこのイポリトという戦士は、

いつからか禁断のキリスト教に回心してしまうのです。

これがローマ帝国にバレて、

拷問の末に殺されてしまいます。

その後カトリック教会によって列聖されたイポリト聖人を祝う日というのが、

8月13日だったんですね。

だからコルテスも8月13日を、

メシカとの決戦の日と決めた、

というのが定説となっており、

この教会がサン・イポリトと呼ばれる所以です。

👆1874年に建造された石碑ですが2ヵ所に間違いがあります。

そしてこれにはある伝説が隠されています。

 

ぜひですね、

この歴史的現場を実際に歩いて頂き、

当時の様子を思い浮かべて頂ければと思います~

 

ではよい日曜日を~

 

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