インパクトが無いメキシコの歴史をインパクトがあるようにするには。
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育児期間中につき、
投稿が断続的になっております~。
落ち着きましたらほぼ毎日投稿に戻します。
メキシコとヨーロッパと日本が繋がるところ。
👆ケレタロ市の「鐘の丘」
「歴史?そんなもん、面倒くせぇよ」
「有名観光地に行ければいいの!」
と仰られる方。(笑)
まぁまぁ、
そう仰られずにですね、
すこぉしテンションを緩めて頂きたいんです。
注:
日本で「テンション」というと、
「テンションを上げる」とか、
「ノリ」の良さを表すと思いますが、
英語やスペイン語では「緊張」を表します。
ちょっと「苦手マインド」の緊張をですね、
緩めて、
頭をリラックスさせて頂きたい、
というのが今日の私の願いでございます。(笑)
人間、
「できない病」というのを誰しも多かれ少なかれ患っているようなんですが、
全部できなくたって、
少しだけでもできればいいじゃないですか。
ゼロ/百ゲームじゃなくて、
その「少し」の部分が、
その後を大きく変えることに繋がるかもしれませんしねぇ。
歴史は好きでも、
いきなり決まったメキシコ旅行で、
メキシコの歴史を理解してその凄さを感じるって、
なかなか難易度が高いこと。
ガイド:
「えー、ここにはアステカの首都がありましてですねぇ、
テンプロマヨールがこちら~、
そのてっぺんで生贄の儀式で首が切り落とされ・・・
アステカはテオティワカンやマヤ違うけど、
似ている点もあったり・・・
こちらには植民地時代の大聖堂・・・
こっちは1900年代初頭に建造された・・・」
なんかもう、
頭の中がぐちゃぐちゃで、
ガイドの話を聞いている方も、
正直なところ「はぁ・・・・」ではないでしょうか。
僕は常々、
「メキシコ旅行は歴史を知ってこそその価値が増す」
と偉そうに連呼しているわけですが、
満更デタラメでもないようなんです。(苦笑)
実はですね、
1800年代後半というのは、
日本では大動乱が起こっていましたよね。
明治維新というものなんですが、
海の向こうメキシコでも、
この時代というのは大動乱でした。(汗)
今の日本・メキシコ両国、
平和な世界に暮らしていると、
社会の凸凹はあるにしても、
なんとなくエスカレーター式にすぅーっと時間が経っちゃいます。
でも当時、
1800年代というのは、
両国では「国が変わる=世が変わる」というくらい、
インパクトがデカい事件が起こっていたんですよね。
今のロシアとウクライナではないですが、
当時のメキシコというのは、
突然外国が攻め込んできて、
自分たちの国をせしめる、なんてことが、
度々起こっていたわけです。
👆先日のアメリカの侵略もそう。
南北アメリカ大陸の国々には、
だいたいどこの国にも「独立」という歴史があります。
メキシコの場合は1821年なんですが、
ようは、
大航海時代に突然押し入ってきたスペイン人が、
今日のメキシコがあるエリアを占領し、
自分たちが良いように「居住空間」を作り上げたんですね。
その間300年。
独立によってその300年に及ぶ掌握は解かれるわけですが、
新たな独立した「国」を動かすって、
まぁ、一筋縄ではいきません。
1821年以降、
メキシコという国の元首が毎年のように変わる時代だ50年ぐらい続きます。
あら、国の元首がコロコロ変わるって、
どこかの国でも起こっていた気がしますが?(苦苦笑)
そりゃ、
それだけ内政が「安定」していないということなので、
外国のいいカモです。
大航海時代にカトリック教国のスペイン人が押し入ってきて、
昔のメキシコの人達をカトリック教徒にしてしまったわけですが、
カトリック教、いろいろ不具合が出ていたようです。
聖職者の特権とか。
「こりゃまずいよね」ってことで、
そんな政教一体的な国政を変えようと立ち上がった大統領がいました。
その人が、
メキシコシティ空港の正式名称にある、
ベニト・フアレスさん。
脱政教一体を掲げるんですが、
「特権」超大事な保守派の人達が、
フアレス潰しにヨーロッパを帆走。
ナポレオン・ボナパルト(ナポレオン一世)の甥である、
ナポレオン三世に話がいき、
「知り合い」だったオーストリア皇帝の弟、
マキシミリアノ一世がメキシコに送り込まれることになります。
「え、メキシコ?どこ?」て顔をしながら。(苦笑)
👇メキシコ、ベラクルス上陸時。保守派の歓迎を受けます。
この直前にあったのが、
先日書きました通称「シンコデマヨ」、
1862年のプエブラの合戦で、
ナポレオン三世のフランスはメキシコ相手に惨敗するんですが、
翌63年にフランスは再度メキシコに侵攻。
これが“成功”し、
オーストリア人のマキシミリアノが皇帝としてメキシコに送り込まれ、
第2次メキシコ帝国が始まるのです。
👆ここにですね、
「ラストサムライ」でトムクルーズが演じるフランス人で、
榎本武揚さんとも親交があったジュール・ブリュネが関わっているのも、
意外な日本との接点。
👇榎本武揚さん
(出典:Relatos e Historias en Mexico)
その榎本さんは1897年に、
メキシコはチアパス州ソコヌスコ地方に、
日本人移民団の第一陣を送り込んでいます。
このマキシミリアノ一世、
メキシコシティの目抜き通り、
レフォルマ通りを造った人なんです。
でもメキシコへの無知などが禍し、
結局4年しか続かず、
ケレタロ市に逃亡。
メキシコ政府軍に捕らえられ、
第2次メキシコ帝国は幕を閉じたのでした。
一昨日の1867年5月15日に。
この人、
同市にある「鐘の丘」にて6月19日に銃殺刑に処されます。
墓はウィーンのカプツィーナー納骨堂にあるようで、
僕のヨーロッパ旅行の目的地の一つでもあります。(苦笑)
で、その半年後、
海の反対側の日本は大政奉還という時代の流れです。
ちょっとマニアック?
と思われるかもしれませんが、
意外なところで、
日本とも繋がる点、
面白いと思いません?(笑)
こちらにも書いていますので、
よければご覧ください~
メキシコを3年に渡って統治した謎のオーストリア人とはメキシコ発【キオテ通信】バックナンバーはこちら!
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