テオティワカンとマヤの関係。

 

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直線距離で1000キロ以上離れた文化同士の不思議な関係

 

メソアメリカ文明とは

テオティワカンと聞けば、

誰もが壮大な“ピラミッド”を想像するでしょう。

 

カンクンの方に行けば、

“とりあえず”、

チチェンイッツァに行かれるでしょう。

 

テオティワカンて場所だと思われている方が多いと思いますが、

文化といった方が分かりやすいですね。

テオティワカン文化の首都があったところが、

今日、通称太陽と月の“ピラミッド”宗教的建造物ある場所です。

 

テオティワカン文化や、

チチェンイッツァやパレンケで有名なマヤ文化

巨石人頭像で知られるオルメカ文化

オアハカのサポテカ文化

そのような大小さまざまな文化の集合体が、

世界五大文明の一つメソアメリカ文明を形成したのです。

文化と文明を混同している説明が多いので、

まずここをハッキリさせておきますね。

☝☝☝メソアメリカ。

大きく分けて9つの地域からなっていました。

実際には右下のコスタリカの方まで広がっていました。

 

テオティワカンの特徴

もちろんインスタ用に景観も大事ですが、、、(苦笑)

 

ちょっと視野を広げますと、

更にその壮大さが分かるのです。

 

メソアメリカ文明の一部であったテオティワカン。

特徴的なのは単一文化ではなかったということです。

 

テオティワカンには、

東西南北様々な文化の人達が、

同じ都市内に居住していいたということが、

出土品から分かっています。

だから、

貴族はいても絶対的な首長の存在が“ない”、

少なくてもそれを裏付けられる考古学的証拠が見つかっていません。

その秩序を保っていたのは“商業”でした。

ここが当時の交易の中心地だったのです。

 

その多民族都市であったテオティワカンで、

ただ一つ、

マヤ人の“居住”の有無だけが未確認だったのです。

“月のピラミッド”からの出土品の中に、

マヤ固有の緑色の耳飾りが見つかっていて、

交易関係を示す証拠に間違いありませんが、

“居住”していた証拠にはなりませんでした。

 

実際に、

グアテマラのティカル(Tikal)の石碑(Estela)から、

今から1700前の4世紀頃にかけて、

テオティワカンとマヤの交易が始まったことがわかっています。

 

マヤの存在

ただ、

他の文化と違い、

元々メキシコ中央部(Altiplano Central)では、

マヤ文化に関する考古学的証拠は乏しいです。

 

2016年にテオティワカンで大発見がありました。

宗教的建造物通称“太陽のピラミッド”の正面右にある、

支柱の神殿(Plaza de los columnas)で、

500個に及ぶ、

マヤ文化に固有な壁画の破片が見つかったのです。

また、この近くより、

テオティワカンのエリート層のシンボルである狼の尻尾の頭飾りが描かれた陶器が見つかっており、

マヤ文化のエリート層が、

単なる交易や一時的な滞在ではなく、

ココに“居住”していた証拠となったのです。

遠くはホンジュラスのマヤ文化コパン(Copan)のエリートが、

一時期このテオティワカンで首長的な役割を果たしていたと考えられています。

 

西暦200年以降、

テオティワカンの3大宗教的建造物(太陽、月、ケッツァルコアトル神殿)がほぼ同時期に建設が進められていたと考えられる上、

この“支柱の神殿”は200年から500年の約300年にわたって、

19回もの拡張や改修工事が行われました。

☝この事は文献によって異なり、月のピラミッドから順に南に向かって建造物が造られたという見方もあります。

 

マヤへの影響

このことと、

ほぼ直線距離で1300キロ以上離れた

ティカル(Tikal)の石碑にある様に、

マヤ文化への直接的な影響を併せて考えると、

テオティワカンではこの時期に強大な権力が存在したと考えられています。

 

テオティワカンの繁栄と衰退

このテオティワカンの絶頂期200年頃から600年ぐらいまでの時代には、

マヤ文化圏では先述のティカル(Tikal)や、

メキシコ領土で、

その北のカラクムル(Calakmul)が戦いを繰り広げており、

少し遅れて同じくマヤ文化のパレンケ(Palenque)が、

400年頃から栄えます。

 

テオティワカン近郊では、

現在のプエブラ市の西にあるチョルーラが、

テオティワカンとの商業を通じて繁栄していました。

テオティワカンのほぼ真東に200キロにあるカントナは、

テオティワカンの年貢の取り立てなどを不満に思い、

対抗的な存在でした。

 

テオティワカンが700年代に突如としてその文化に幕を下ろすと、

勢力図はコントロールを失い、

各地で戦乱が増えるのですが、

上記のカントナが、

トゥラの繁栄が900年ごろから始まるまで、

メソアメリカで最も重要な都市の一つとなりました。

トゥラ(Tula)の首都は1150年頃に放棄され、

そこに住んでいた人々は地方の各地へ散ります。

 

その一部が、

1400キロ離れた、

当時マヤ文化の首都であったチチェンイッツァにたどり着き、

“戦士の神殿”というトゥラ文化と瓜二つの建造物を建てた、

と考えたいところですが、(苦笑)

最も有力な説は、

タバスコ一帯で勢力を張っていたチョンタル族を介して、

チチェンイッツァにトゥラ文化が影響を及ぼしていたという見方が一般的になっています。

 

ブログのはずなのに、

結構コアな話になってしまいましたが、(苦笑)

こんな風にみて行くと、

メキシコの、

メソアメリカの各地の都市跡の全体像が見えてきて、

おもしろくなってくると思います。(笑)

 

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