建築技術に垣間見える高度に統制がとれた社会、マヤのサジル。

メキシコ在住15年目、

「メキシコの素顔を世界に! をモットーに、 メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。   サジル。 Sayilと書きます。   一ヶ月前に始めたマヤの旅も終盤です。(笑) 終盤といっても、 マヤの都市についてはあと5本ぐらい書く予定なのですが、 カラクムルの北200キロぐらいのエリアに移ってきました。 ユカタン半島でも北の方です。 ☝☝☝ここです   前回のタバスケーニョの北約75キロの所です。 ここまで来ると、 タバスケーニョのチェネス圏を抜け、 プーク(Puuc)圏に入ります。   この街は、 800年頃から1000年ごろまで栄えたとされています。 日本は平安時代ですね。   サジルは、 小さな渓谷状の地形に位置しています。 その一方で、 一つ死活問題があったのです。   地表に 水源がないんです。   だから、 タバスケーニョでも見ました チュルトゥンを掘る必要がありました。 ☝☝☝チュルトゥン(これは中が埋まってしまっています)   建物によりますが、 北の神殿では、 その周りに少なくても8つのチュルトゥンが見つかっています。 ☝☝☝こちらが北の神殿です。   この神殿は800年から1000年にかけて建造されたされています。 ただ、 一度にすべてを完成させたわけではなく、 何段階かに分けて建設されたと考えられています。   この建物の場合は、 左一階部分が最も古い部分です。   この建物から見ても分かるように、 規模が大きいんですね。   前回のタバスケーニョよりも大きいのは一目瞭然です。 加えて建築物からも高度な建築技術が見て取れます。   ここには約90もの“寝室”があり、 上層部のエリート層が約350人住んでいたとされます。   このことから、 高度に統制された社会が存在し、 住民も多かったと考えられています。   周辺にもいくつかの村があり、 このサジルと合わせて約1万7千人程が、 このエリアに住んでいたと考えられているんです。   都市内(遺跡内)にはいくつもの“道”があり、 各エリアをつなげていました。 このマヤの道をサクベ(Sacb é)といいます。   サクベは、 同じ街の中はもちろん、 他の都市(宗教的都市)ともつなげられていました。   ウシュマルから近いですので、 ぜひ南に足を伸ばしてみて下さい~     #MexicoCentralTours [su_button url="https://mexicoct.com/blog/" size="6" icon="icon: chevron-right" icon_color="#ffffff" desc="バックナンバーもどうぞ"]【キオテ通信】[/su_button] [su_button url="https://mexicoct.com/contact/" size="14" wide="yes" center="yes"]このツアーについて今すぐお問い合わせする[/su_button]]]>

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