混乱につけこみ復権を狙う往生際の悪い元大統領。/ベニト・フアレス その5
メキシコ在住15年目、
「メキシコの素顔を世界に!」
をモットーに、
メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。
メキシコ情勢の混乱につけこみ復権を狙う往生際の悪い元大統領サンタ・アンナ。
古今東西、
私利私欲に走る「間抜け」な人というのは多かれ少なかれいるようで、
メキシコ史上もやっぱりいるんです。(苦笑)
前回まだの方はこちら☟
【その4】ベニト・フアレスココでいう「間抜け」っていうのは、
「だらしない」という意味ではなくて、
文字通り「間が抜けた」という意味です。
きっと生まれ持った才能があるんでしょうけれど、
それを上手く使い切れない、
さらにはそのせいで、
他の人に迷惑を掛けてしまいます。
数カ月前に、
メキシコが領土の半分以上を失った、
という話をしたと思います。
米墨戦争の時代です。
テキサス、コロラド、アリゾナや
カリフォルニアは元々メキシコの領土だったという話でしたね。
それが、
ご存知の方も多い1836年の「アラモの戦い」の後、
アメリカ軍の逆襲で負けてテキサスを失います。
1848年には、
グアダルーペ条約でカリフォルニア、
アリゾナ、ニューメキシコ、コロラドを含む55%の領土を失います。
1853年には、
アリゾナの一部をまた失います。
この表舞台に居た人というのが
サンタ・アンナ“大統領”。
彼は有能な軍人だったようですが、
政治家としては「間抜け」にもほどがあったようです。
彼は事あるごとに職務を放棄し、
殆どが1年以内に辞め、
気が向いたころにひょっこり戻り、
大統領の座に繰り返しついていたんです。
アメリカとの戦争に敗れた1847年には、
コロンビアに逃亡、
その後戻り、
1853年のラ・メスィジャの割譲後には
再びコロンビアに逃亡します。
その彼が、
この“有事”につけこみ再びメキシコに“戻る”るのです。
当然“復権”を狙って・・・
が、
そんな彼の素行不良は、
フランス人の耳にも当然入っていました。
事実上、
メキシコを占領していたフランスの隊長に、
「助けてやる」
と打診しますが、
拒否され、
その挙句にメキシコからの「追放」を宣告されます。
「メキシコ人でありながら、外人にメキシコを追放される」
☝屈辱ですね。
これに逆切れしたサンタ・アンナは、
自腹で“反メキシコ帝国”のビラを刷りバラまきます。
その後仕方なくキューバに行くのでした。
その時、
ヨーロッパでは着々と、
メキシコの帝国化に向けた準備が進んでいました。
しかも、
イギリス人でも、
スペイン人でも、
フランス人でもなく、
オーストリア人によって・・・
「???」
メキシコはですね、
3年に渡って
オーストリア人によって統治されていた時代があったんです。(苦笑)
その時代を、
「第2次メキシコ帝国」
と呼んでいます。
でも何でオーストリア人が!?
続きは次回に~
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