「黒いジャガー」エク・バランの謎。

メキシコ在住15年目、

「メキシコの素顔を世界に!

をモットーに、

メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。

 

エク・バラン

Ek’ Balamと書きます。

 

マヤ語で、

「黒いジャガー」、

訳によっては、

「金星のジャガー」

という意味です。

Ekが黒とか金星、

Balamがジャガーです。

 

マヤの遺跡ですね。

テオティワカンやチチェンイッツァほど知名度は無い?

のかもしれませんが、(苦笑)

マヤ文化の中でも特徴的な遺跡ですので、

少しだけご紹介しようと思います。

 

チチェンイッツァの北東、

直線距離で50キロの所にあります。

来るまで行くと1時間ぐらいで行けますね。

ココでです☟☟☟

前回のマヤパンまで、

ドンドン年代が上がってきましたが、

今回のエク・バランでちょっと戻ります。(笑)

 

この土地、または地域に人が住み始めたのは、

紀元前300年以降とされていて、

600年から900年頃にかけて全盛期を迎えていたと考えられています。

 

ちょうどウシュマル(ウクスマル)と同じ年代ですね。

 

有名なチチェンイッツァは500年ぐらいから定住が始まり、

1200年以降に全盛期を迎えました。

地理的にもチチェンイッツァと近く、

チチェンイッツァが勢力を付けて来る前の時代に、

このエク・バランの人々との交流があった事が、

出土した土器や、

壁画、

石碑などから解っているんです。

 

その一方で、

本格的に考古学という科学による建造物の調査が始まったのは、

わりと最近で、

1994年からなんです。

 

それまでにもその遺跡内部の建造物の位置関係を調べた事はありましたが、

殆どその実像については知られていなかったんです。

 

このエク・バランがどうして興味深いのかというと、

先ずですね、

その“芸術的”な建造物です。

 

これまでに、

マヤ文化圏には13の地域があるとか行きましたね。

例えば、

カラクムルはテペン、

エツナはカンペチェ、

タバスケーニョはチェネス、

ウシュマル(ウクスマル)はプーク

といった具合です。

(☝覚えなくても大丈夫です・笑)

 

何が言いたいのかと言うと、

同じマヤ文化圏であっても、

それぞれの地域によって、

建築スタイルが変わる

という事です。

 

おもしろいことに、

このエク・バランにはですね、

南西に200キロも離れたペテン圏や、

ウシュマルがあるプーク圏、

タバスケーニョのチェネスの建築要素に加え、

カンクンがあるカリブ海側の特徴も見られ、

 

さらに!

他の場所には見られない、

エク・バラン特有の要素も見られます。

 

他の都市だと、

その都市内の建造物の特徴は似るケースが多いのですが、

上記の地域の特色が、

エク・バランでは各建造物、

にそれぞれの地域の特徴がみられるんです。

 

これが一点目。

 

二つ目に興味深い点は、

冒頭に書きましたように、

初期のチチェンイッツァとの関係性です。

 

出土品や石碑、

壁画の下地の部分の石膏の使われ方など、

考古学的観点から、

エク・バランとチチェンイッツァの関係性が証明されています。

 

さらには、

説によっては、

壁画などの“芸術家”達、

または一部の人達は、

チチェンイッツァへ移住したとも感がられているんです。

 

その一方で、

チチェンイッツァに関連する科学的証拠は、

エク・バランでは見つかっていないんですねぇ。

つまり、

この事から、

エク・バランから、

チチェンイッツァに芸術などの技術が継承された、

と考えることができます。

エク・バランの文化が、

チチェンイッツァにも影響を及ぼしていたという事です。

 

あと知っておくべき事として、

エク・バランの最も重要な区画、

通称アクロポリスというエリアがあるのですが、

ここには縦160m、

幅70m、高さ31にもなる巨大宗教的建造物があります。

これを“ピラミッド”と呼ぶのかは皆さんにお任せしますが、(笑)

メソアメリカで最も大きな建造物の一つであります。

☟☟☟アクロポリスの宗教的建造物

 

遠く離れた別の地域の建築要素、

初期のチチェンイッツァとの関係性、

メソアメリカで最も大きな建造物の一つ、

まだまだ調査が足りず、

謎が多い都市エク・バラン。

 

皆さんは、

現地で当時の様子をどうご想像されますでしょうか。(笑)

 

#MexicoCentralTours

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