高校野球児の涙の意味。

コロナウイルスの影響で春の選抜高校野球も中止になってしまいました。

 

僕は高校の時は軟式テニス部で汗を流していました。

というもの中学の時に少しだけ良い結果を出せて、

高校には一応名門と言われていた(今はどうなっているか知らない、、、)高校に

スポーツ推薦で進学したのです。

 

種類は違えど、

名門高校の運動部。

運動部特有の基本的なゴリゴリ感は同じです。(苦笑)

 

そもそも軟式テニスを始めた理由というのが、

中学に軟式テニス部しかなかったから。

「えっ?」

と思われるかもしれませんが、

本当なのです。

軟式テニス部か帰宅部かの二者択一

 

というものその中学というのが長野県下伊那郡売木村というところで、

僕は小学校の時は問題児で半不登校気味でして、(苦笑)

それを見かねた両親から“山村留学”というもの勧められたのです。

当時12歳の僕は、

「いいんじゃねぇ?」

と、

ほぼ即決したのを覚えています。

理由は現状に飽きていて何か違うことをしたかったから。

 

その“留学”先というのが当時の人口が700人ちょっとの長野県下伊那郡売木村。

中学全体の生徒数は18人。

僕が入った一年は他の留学生5人を入れて8人。

だから部活も一つしかないという環境だったのです。

 

まだあの頃は体罰云々というのが騒がれる前だったので、

顧問の先生にはガンガンやられましたね。(苦笑)

(その先生とは今でもたまに連絡を取り合い、僕の恩師となっています)

 

話がちょいとそれましたが、

日本の学校の運動部、

特に高校は特殊にみえます。

 

アホみたいな上下関係、

下級生の球拾い、

坊主頭、

ぱしり(上級生による使い走り)、

負けてこの世の終わりかのように号泣する高校野球児、、、

 

当時は当然のことのようになっていましたが

(僕は坊主とパシリにはならなかった)、

今考えればおかしなことです。

一級、二級違うだけで上級生が神様でしたからね。(苦笑)

隣が野球部だったのですが、

同級の部員が先輩のおつかいに行かされているのを見て、

「可哀そうに、、、」

と何故か自分も悲しくなっていたのを覚えています。

 

「メキシコも?」

あるわけないです。

みんな和気あいあいと、でも一丸となって挑みます。

 

僕も一生懸命やりました。

朝も1人練習したり、

練習が終わっても鉄アレー持ってランニングに出たり、(笑)

(おかげで名門の陸上部員から褒められました・笑)

上手い人のビデオを繰り返し見たり、

できる事は全部しました。

でも結果が全くついて来ませんでした。

高校生ながら“絶望感”に打ちひしがれましたね。(痛痛痛)

 

でも妙に納得していて。

「自分はこれには向いていないんだ」

と。

だから泣く気にもならなかったし、

後悔もなかったです。

 

高校野球で球児が負けて号泣しているのを見ると、

「何でそんなに泣けるんだい?」

と思ってしまうのです。(苦笑)

 

泣くためにやる。

泣くのがカッコいい。

みんな泣くから自分も泣かないといけない。

 

高校運動部でやった同じ人間として感じるのは、

これ同調圧力ですよね。きっと。(苦笑)

誰が創ったのかしれない、

良いとされるイメージがあって、

その“カッコいい”イメージの為にやる。

本来のスポーツが目的では無くて、

だから理不尽で超非効率な上下関係も普通に存在するし、

“号泣”が甲子園の風物詩ともなる。

 

若い皆さん、

人生は部活の勝負だけではないのです。

顔を上げて、

世間に目を向けてみましょう。

 

一度だけの自分の人生、

人のため、

世間の為、

世界の為に、

そして何よりも自分の為に、

一生懸命やって、

場合によっては自然と涙が頬を伝う、

心ある人間になりたいものです。