マヤ族の出身地はユカタンではなかった?今も言葉で繋がるマヤとその出身地ウァステカ文化。(1/?)

メキシコ在住16年目、

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公認日本語ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。

 

今日も呑気にメキシコから書いています~

 

マヤ族の出身地はユカタンではなかった?今も言葉で繋がるマヤとその出身地ウァステカ文化。(1/?)

👆マヤの中でも初期の事の都市カラクムル

 

去年に一度書いています。この話題。

覚えていますでしょうか~?

 

日本人の間で、

メキシコと聞いたらまず思い浮かべるのが、

カンクンの綺麗なビーチだったり、

チチェンイッツァの遺跡?

あとはセノテ?

 

それらの全てが、

ユカタン半島という場所にあって、

そのユカタン半島というのはマヤの文化が根付いていた(いる)場所です。

 

中学か高校?の世界史でも「マヤ文明」って習ったような記憶が・・・

 

マヤ暦や数字のゼロを使っていた事でも有名で、

たくさんのマヤ遺跡がある事でも知られていますね。

 

スペイン人がメソアメリカを占領する前、

最もコンタクトがあったのがこのマヤ文化の人達です。

 

スペイン人の中に、

ゴンサロ・ゲレロという人がいて、

船が難破してユカタン半島の東沿岸に漂着し、

マヤ族に捕らえられ、

その後の人生をマヤ人として過ごし、

マヤ人として出身国民(スペイン人)と戦い、

マヤ人としてその人生を終えたという話は有名です。

 

☟彼の本拠地だったチェトゥマルにあるゴンサロ一家の像。奥さんはマヤ人女性。

そんなメソアメリカ文明の中でも、

とりわけその存在感が際立つマヤ文化。

 

でも彼らの出身地というのは、

今のユカタンやチアパス地方ではなかったんです。

 

!?

 

他の例を出すと、

あの有名なアステカで知られるメシカだって、

その出身地はメキシコシティではなく、

ずぅっと北西の太平洋側だったと考えられています。

 

そう、

前にも書きましたが、

水の都を意味するアストランという場所が彼らの出身地。

「アストランの人々」

だから「アステカ」というのでしたね。

 

アステカ帝国、

ではなくてメシカ帝国をつくったのは、

そこから枝分かれした一派なんですが、

それは別の話なので割愛します。

 

あと有名な所だと、

トトナカ文化。

 

トトナカ族も、

マヤやメシカ程規模は大きくなく、

知名度も低いと思いますが、

メキシコ中東部を支配していた大文化。

スペイン人と最初に同盟を結んだことで知られています。

 

トトナカの出身地はずぅ~と北の方と考えられています。

どれぐらい北なのかというと、

今のモンテレイとかテキサス南部のあたり。

 

当時はノマド(狩猟採集型の生活)で、

北部から中東部への移動の過程で、

ピラミッドなどの都市建設が行われた痕跡はない、

正しくは「見つかっていません」。

 

そんな事で、

巨大文化圏に発展した文化が、

「移住者」であることは

実はそれほど珍しくないこと。

 

マヤもその一つ言うわけです。

 

じゃあどこから来たのかというと・・・

 

続きは次回~

 

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