【お札の人物1・続き2】ミゲル・イダルゴがしたこと。

メキシコ在住15年目、

「メキシコの素顔を世界に!

をモットーに、

メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。

 

前回の続きです。

 

ミゲル・イダルゴとは。

来月独立記念日なので

それも併せて書いていきますネ。

本名はミゲル・グレゴリオ・アントニオ・イグナシオ・イダルゴ・コスティジャ・ガジャダと言います。

長いですね。(笑)

 

1753年に、

サン・ヴィセンテ農場に、

スペイン人の両親の元に生まれます。

つまり、

かれはクリオジョという血統ということですね。

メキシコで生まれたために、

スペイン人とは名乗れませんでした。

 

各地の部族と働いていたため、

ナワトル語、オトミ語、プレペチャ語、

後にはフランス語もマスターしていたとされます。

 

神父としてのキャリアは、

1765年に、

今のモレリア市である、

ヴァジャドリド(Valladrid)の高校入学と同時に始まります。

 

フランス語は当時

“流行り”だったようで、

彼をフランス語を通じて、

ヨーロッパの政治的なことから思想など、

知識を深めます。

47歳の時には、

コリマやグアナファトで聖職を任せられ、

その上地元の民芸品やコチニジャ虫を使った染料、生地、蜂蜜などの産業を後押しします。

噂では宗教的な“密造酒”も作っていたとか。

これは販売はしていなかったようですが。

 

もう一つの噂によると、

3人程の女性と関係を持ち、

5人の子供を儲けたようですが、

これは2010年に、

メキシコ政府によって正式に“捏造”とされています。

神父さんですからねぇ、公には女性関係はNGのはずですから。(笑)

 

その後、

“文学クラブ”と称したクリオジョの集まりに参加するようになり、

そこで独立運動の同志イグナシオ・アジェンデと知り合います。

 

ちなみにアジェンデは、

皆さんもご存知のサン・ミゲル・デ・アジェンデのアジェンデです。

この方から命名されました。

 

この“文学クラブ”で独立運動を企てるのですが、

やはりどうしても話が漏れるんでね~。

メキシコでは、

秘密を守れず他人に話してしまう人のことを

“チズモソ”といいます。(笑)

「アイツは“チズモソ”だから黙っておこう」、

という具合に。

当初は1810年12月に蜂起するはずでしたが、

このリークの為に早めます。

これが9月16日の早朝

つまり、

今日の独立記念日です。

 

いや、

ちょっと待ってください。

メキシコでは独立記念日は9月16日ですが、

祝うのは前日の夜15日です。

 

なぜか?

 

余談になりますが、

後に“大統領”となるポルフィリオ・ディアスの誕生日が、

9月15日であったため、

彼は祝賀日を彼の誕生日に合わせ一日前倒ししたのです!(苦笑)

まさに、

独裁者ならではのやりたい放題。

だから16日ではなく、15日に祝賀イベントが行われます。

16日はお祭り騒ぎはなく、

静かな祝日です。

 

9月16日早朝、

ドローレス・イダルゴ村の中心部にある、

Nuestra se ñ ora de los Dolores教会での前に

約300人の群衆を集め、

有名な

「Viva Mexico!」

(ビバ・メヒコ!)

という雄叫びをあげます。

 

というのは間違いで、(笑)

 

実際は、

「Vamos a matar gachupines!」

(スペイン人をぶっ殺そう!)

と叫んだんです。

☝☝☝ココがその歴史的現場(岩﨑撮影)

そもそも、

当時はまだ“メキシコ”は存在していませんでしたからねぇ。

 

これにより、

10年に渡る独立戦争の火蓋が切って落とされたのです。

近代独立国家としてのメキシコへ最初の一歩が踏み出されたのです。

 

この瞬間が、

前回書きました、

二条城での大政奉還諮問や、

京都御所での小御所会議での一幕と同じインパクトがあるもの

と書いた場面です。

 

そこで、

なんで「ぶっ殺そう!」というまでになったのか。

これまでのブログを読んで頂いている方でしたらお分かりになると思います。

メソアメリカ系の人達は、

植民地政府や教会から容赦ない年貢を強要されていました。

スペイン人による“奴隷制度”もありました。

一部のクリオジョやメスティソに対する偏見もありました。

そんな状況に対する不満が爆発したのです。

この決起集会のあと、

イダルゴ神父と同志のアジェンデは、

サン・ミゲル・エル・グランデ

今日のサン・ミゲル・デ・アジェンデに向かって行進するのです。

 

 

その途中に立ち寄ったAtotonilco(アトトニルコ)で、

その後の独立戦争のシンボルともなる、

グアダルーペ像が描かれた“旗”を得ます。

☝☝☝これです。(ミゲル・イダルゴ博物館にて・岩﨑撮影)

 

この動きを受け、

植民地ヌエバ・エスパーニャの大司教は、

蜂起した全員に対しカトリック教会からの破門を言い渡します。

 

この後、

グアナファトへと歩を進めるのです。

そしてそこで起こった事とは・・・

 

次回をお楽しみ~(笑)

 

サムネイル画像:

https://www.eluniversal.com.mx/nacion/grito-de-independencia-por-que-celebramos-el-15-de-septiembre

 

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