「ナチョス」の生まれ故郷とキカプ族の話。
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投稿が断続的になっております~。
落ち着きましたらほぼ毎日投稿に戻します。
ナチョスとキカプ族は関係ないけれど・・・(苦笑)
👆実は身近にあり過ぎるナチョスの写真を撮ったことがありませんでした。(苦笑)インターネットから拝借
ナチョスの話。
ナチョスってご存じ?
タコスは聞いたことがあっても、
ナチョスってなると、
何か分からない人も増える?
または逆なのか。
ナチョスってNachosと書くのですが、
これはタコスと一緒で複数形なので、
単数形はナチョ(Nacho)といいます。
ナチョっていうのは、
男性の名前イグナシオ(Ignacio)の、
強いて言えばニックネームのようなもの。
ラテン語のIgnatiusから派生した名前で、
愛嬌を込めてイグナシオ君達には「ナチョ」と呼ぶことが多いんです。
そのイグナシオ君のナチョと食べ物のナチョ、
これ同じなんです。(笑)
食べ物のナチョはイグナシオ君から命名されたということ。
ナチョ、
またはナチョス、
食べたことがない人の為にご説明しますと、
べつに難しい料理ではなくて、
トルティジャ(トルティーヤ)という、
トウモロコシを挽いて練って薄っぺらく伸ばし(ふつうは円形に)、
それを鉄板(コマル)で焼いたのものを、
8等分ぐらいに切って油で揚げるとトトポ👇という、
いわばトウモロコシチップスが出来るわけです。
それにチーズやチリやらを乗っけるなりつけるなりして食べるものが、
「ナチョス」と呼ばれます。
👇これはトトポにグァカモレ、ナチョスとは呼ばない。
例えば映画館、
日本ではポップコーン?
メキシコもポップコーンですが、
あとはこのナチョスもあります。
映画館のナチョスは三角形のトトポじゃなくて、
丸いんです。
えびせんみたいに丸いトウモロコシの煎餅(トトポ)に、
チーズを付けて、
チリを乗っけて食べます。
先日世界のストリートフードランキングみたいのがあってみていたら、
ナチョスが入ってるんですよね。
これって料理か?って思うんですが、
僕にはどうしてもスナックにしか見えません。(苦笑)
で、その有名過ぎる「ナチョス」の話。
たまに「世界遺産のメキシコ料理」に「ナチョス」を堂々入れて語っている人がいますが、
違うんですよね。(苦笑)
「ナチョス」自体は、
厳密に言えばテックスメックスというジャンルで、
「いわゆるメキシコ料理」からはちょっと外れる位置にあります。
それもそのはず、
ナチョスの生まれ故郷は、
メキシコとアメリカの国境の町。
ピエドゥラス・ネグラス(Piedras Negras)という町がココ👇にあるんですが、
ココにあったレストランClub Victoriaでキッチンマネージャーをしていた
イグナシオ・アナヤさんが、
1943年のある日、
この店に訪れたアメリカの軍人の婦人たちに前菜を提供しようとしたところ、
メニューにある前菜を作る材料がないことに気付き、
即興でトルティジャとチーズとチリで作ったのが後に「ナチョス」と呼ばれるもの。
婦人たちが料理名を訪ねると、
これにも即興で“Nacho’s Special”と答えたようです。
これがナチョスの原点。
で、
イグナシオ・アナヤさん、
ナチョさんは、
ついに1960年に自分の店を持ちます。
店名はもちろん、
レストランNacho’s開店のビラ👇
「庭で食べて踊れますよ~」
と書いてあります。
だからですね、
仮に「メキシコ料理」と1000歩譲ったとしても、
世界無形文化遺産の対象となる、
歴史と習慣という部分はとっても浅い食べ物です。
これが「世界遺産」といったら、
メキシコで作られるハンバーガーも世界遺産かい?
となってしまいます。(苦笑)
メキシコに住むアメリカの先住民。
ちなみに・・・
このエリア地域というのは、
メキシコ-アメリカに跨って、
キカプ(Kikapu)という民族が住んでいますので、
ざっとご案内しておきます~。
アメリカの先住民、
よくインディアンと呼ばれる人たちで、
出身地は今のミシガン州の辺り。
フランス人が今のアメリカ東部に乗り込んで来た後、
1610年以降ですかね、
彼らは土地を追われ続ける運命になります。
途中、
いくつかのグループに分裂しながらも南下を続け、
とうとう1850年には現メキシコとの国境に到達、
その場所というがPiedras Negras一帯。
テキサスは1836年にメキシコから独立、
1845年にはアメリカに併合されたばかり、
その2年後には当時のメキシコの国土の5割以上を失う結果となる、
アメリカの侵略戦争が起こるというゴタゴタの時代。
メキシコの国境線を別のインディアンから守るという約束で、
メキシコ側から土地をもらい、
はれて1852年にLa Navajaという場所に居住しています。
でもそこが不毛の土地でして、
1859年にEl Nacimientoという場所に移住。
Piedras Negrasから150㎞ぐらいの場所です。
現在この地は儀式的な用途や、
あとは保養地として使われるだけで、
多くのキカプ族はアメリカ側で生活しています。
1983年には国籍を与えられているので、
アメリカ-メキシコを自由に行き来でき、
アメリカではイーグル・パスというカジノを経営して、
生計を立てているようです。
元々は他のメソアメリカ圏の住人と同じように、
狩猟農耕族で、
半定住型の生活をしていましたが、
カジノのオープンで、
今でも定住生活をしている民族。
皆さんも聞いたことがあるマヤやアステカ、サポテカなどという、
メソアメリカの原住民とは違ったバックグラウンドを持つ民族キカプ族。
彼らの言語で「世界の護衛」というような意味があります。
こんなところにも、
メキシコの複雑性の一端が感じられますね。
観光で行くような場所ではないかもしれませんが、
メキシコ文化の一部であることに変わりないという点、
頭の片隅に入れておいて頂ければと思います~
ではまた。
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