メキシコ革命の真相、実は意外と単純だったんです、最初はね。(2/3)


ロゴ,メキシコ,観光,ツアー,ガイド

 

世にある旅行や海外生活について、

ほぼ毎日行き当たりばったりに、

メキシコ現地から好き勝手に書いている、

ゆるすぎるメキシコブログ【キオテ通信】です。

 

成田から直行便でたったの12時間、

アメリカ・カナダの各都市から5時間以内、

2022年の年末年始の海外旅行、2023年の春休み旅行、ゴールデンウィーク、そして夏休み、

メキシコ観光は弊社におまかせを。

メキシコ在住17年目のメキシコガイド兼ドライバーが、

複雑で広大なメキシコを、

【お得】で【楽】で【濃厚】完全プライベート日本語ツアーで、

数々の遺跡からグルメ、各地の見所、そして雄大なメキシコの山まで、

尽きる事のないメキシコの魅力をお得にご案内しております!

 

育児期間中につき、

投稿が断続的になっております~。

落ち着きましたらほぼ毎日投稿に戻します。

 

バランスが崩れると大変らしい。

 

メキシコ革命の火種

前回👇のつづき~

1/3

 

メキシコ革命における国民の不満はなんだったのか、

というところでした。

 

それは

「国益の分配が適切にされなかったから」

なんです。

 

本質的にはそれだけ。

 

今でも「メキシコ革命」ときくと、

エミリアーノ・サパタや、

パンチョ・ヴィジャことフランシスコ・ビジャなどという、

「英雄」が登場し、

(英雄と呼ばれているけれど結構黒い裏の顔もあり)

且つ当時の人口の1割にも達する100万人以上の死者を出し、

混迷を極めた血みどろの時代を想像ことが多いんですが、

革命の本質の部分はとてもシンプルなんです。

 

何が起こったのかというと、

革命前、

30年に渡ってメキシコ大統領の座に就いていたポルフィリオ・ディアスが、

フランシスコ・マデロに政権の座を追われた、

ということ。

 

それが今から11年前の今日、

1911年の11月20日。

 

ポルフィリオ・ディアスは悪か

ポルフィリオ・ディアス大統領は、

1884年から約30年にも渡ってメキシコ大統領の座に君臨した「独裁者」

と描かれることが多いんですが、

そう簡単に「独裁者」として切り捨てられるものではありません。

 

第一に、

元々彼は有能な軍人として、

アメリカやフランスの侵略からメキシコを守った、

あるいは守ろうとした人間の一人。

 

他国の人でも聞いたことがあるであろう、

「シンコ・デ・マヨ」。

「プエブラの合戦」での、

メキシコ側の戦勝記念日なんですが、

ここでもポルフィリオ・ディアスは陣頭指揮を執り、

メキシコの勝利に大きく貢献したのでした。

 

大統領就任後は、

債務超過状態の財政を立て直し、

通信と鉄道網を整備。

文字通りメキシコ各地を繋いだのでした。

 

というのも、

ポルフィリオ・ディアスが大統領の座に就くまでの時代は、

独立から60年ほど経っていた時代。

にも関わらず、

内政は混乱状態が続き、

独立直後の40年で大統領が50度も変わるという、

混迷を極め、

アメリカやフランスなど他国の侵略に対抗すべく、

借金によって戦費を捻出した結果、

財政は破綻状態。

お隣のアメリカにはそんな混乱状態に付け込まれ、

米墨戦争で負けて、

国土の半分以上を失う始末。

 

とにかく散々たる状態のメキシコを受け継いだのでした。

 

他には、

独立記念塔や郵便局本部、ベジャスアルテス劇場など、

今日まで使われている建造物。

(ベジャスアルテス劇場は着工後まもなく中断)

それらは彼の政権時のものであり、

町の区画や下水道も整備され、

車、自転車、学校、銀行などが、

メキシコ社会の歯車の一部になったのも彼の時代。

 

「発展と近代化」をキャンペーンに掲げ、

事業を民営化させ外資を取り込み、

国益を国内に再投資させ、

現代のメキシコに繋がる社会基盤を整えた功績はかなり大きいのです。

 

そんな順風満帆にも見える、

メキシコの「発展と近代化」がどうして恨まれなければならなかったのか。

 

「発展と近代化」のしわ寄せ

その主たる理由は、

これによりメキシコ社会にとてつもなく大きな経済格差が生まれてしまったから。

10%の人間が90%の富を握り、

90%の人間が経ったの10%をわけ合っていた、

という構図が生まれたのです。

 

みなさんが大好きな(笑)メキシコのガイコツ。

今ではカトリナ(金持ちの女性)と呼ばれていますが、

元々はラ・カラベラ・ガルバンセラと名付けられ、

ヨーロッパ気取りをした金持ち連中が、

自国のトウモロコシを食べるのをやめ、

輸入品のひよこ豆(ガルバンソ)を食べ始めたのを風刺的に描いたのがメキシコガイコツ。

それが生まれたのもちょうどこの時代。

 

このことから、

インフラの再国有化を熱望したフランシスコ・マデロ👇が、

ディアス政権の対抗馬として現れるわけです。

 

「国益の再分配とインフラの国有化」

これがメキシコ革命の大本の目的。

 

メキシコ革命のはじまり

1910年の大統領選で、

現代にも続く(苦笑)不正選挙で当然のようにポルフィリオ・ディアスが大統領に再選されます。

 

対抗馬のフランシスコ・マデロは逮捕され、

サン・ルイス・ポトシで投獄されてしまうのですが、

その出所日1910年10月5日に、

「Plan de San Luis」という声明を発表し、

国民に武装蜂起を呼びかけます。

 

だから事実上、

本来であれば10月5日が「メキシコ革命のはじまり」。

ただ実際に武力行使が行われたのは11月20日だったので、

この日が「メキシコ革命」のはじまりとして公休日になっています。

 

彼の運命を決めたその日、

ポルフィリオ・ディアス大統領はココ👇で家族とお食事中でした。

 

ポルフィリオ・ディアスが大統領が政権を追われたのは、

それから約半年後の1911年5月末のこと。

5月25日または26日と諸説ありますが、

車に最小限の私物だけを詰め込み、

家族と共に列車の駅へ向かいます。

その列車は、

今僕がいるベラクルスへと続いていました。

ベラクルス港から客船に乗り、

二度と踏むことがないメキシコの地を後にしたのでした。

👇ポルフィリオ・ディアス

👇橋げたの先端で右に向いている人

彼はフランスへと向かい、

そこで4年余りを過ごし死去。

今もパリのこの墓地👇で眠っています。

 

つづきはまた次回👇に~

3/3

 

メキシコ発【キオテ通信】バックナンバーはこちら!

一番下に関連記事が表示されるようになりました~
画面を一番下👇👇👇までスクロール~

【お一人のお客様同士のライドシェア】

お得なキオテのライドシェア詳細はこちら

SNSにてメキシコの写真と動画を多数アップしています!

#MexicoCompleteTravel

20年近くメキシコの社会にどっぷり浸かり生活している私から見た「メキシコの素顔」を、文章、写真、動画でご紹介しております。

ぜひフォローをお願いします!

Facebook

Instagram

メキシコ旅行相談窓口

 

【人生のリバイバルコーチング事業】
私岩﨑はICF(インターナショナル・コーチング・フェデレーション)認定ライフコーチング業も営んでいます。
皆さんが一度限りの人生、限りある人生を有意義に生きられるようお手伝いさせて頂きます。
詳しくはこちらのホームページをご覧ください。

ラテン式人生のリバイバルコーチング事業はこちら