メキシコと聞くと、
「マヤ文明」
「アステカ文明」
「サボテン」
「陽気な人々」
そんなイメージを持つ方が多いかもしれません。
しかし実際のメキシコは、120を超える先住民族、スペイン系、混血、そしてアフリカにルーツを持つ人々など、多様な民族が共に暮らす世界有数の多民族国家です。
今回は、その中でも日本ではほとんど知られていない「アフリカ系メキシコ人」についてご紹介します。

メキシコは一つの国では括れない「超多民族国家」
メキシコは、単一民族の国家ではありません。
先住民、スペイン系、混血、そしてアフリカにルーツを持つ人々など、さまざまな民族と文化が重なり合って形成された超多民族国家です。
しかし、その中でも特に存在が見えにくい人々がいます。
それがアフリカ系メキシコ人です。
メキシコにも存在した奴隷制度
メキシコに来たことがある方なら想像がつくかもしれませんが、メキシコではいわゆる「黒人」と呼ばれる人々を街中であまり見かけません。
中米のホンジュラスや南米のコロンビアへ行くと、その人口は明らかに増えます。
しかし、それはメキシコにアフリカ系の人々がいないということではありません。
個人的には「黒人」という表現は好きではないため、ここではアフリカ系メキシコ人と呼びます。
彼らは、忘れられてはならないメキシコの人々です。
アフリカ系の人々がメキシコに到着した最初の記録は、1520年にスペイン人が連れてきた奴隷とされています。
その後の詳しい経緯は、あまり記録として残っていません。
スペイン人がメシカ帝国を征服した後、地方の部族も支配下に置いていきました。
その際に導入されたのが エンコミエンダ制 です。
これはスペイン人の領主に土地と住民が割り当てられ、もともとその地域に住んでいたメソアメリカの人々が搾取され、スペイン人のために労働を強いられる制度でした。
こうして多くの先住民が事実上の奴隷状態に置かれていきました。
先住民奴隷禁止が生んだ「新たな奴隷」
この状況を受け、1538年、スペイン王カルロス1世はメソアメリカ系住民の奴隷化を禁止します。
先住民が自らの伝統や政治のもとで生きられるようにするための奴隷禁止宣言でした。
しかしその結果、別の問題が生まれます。
重労働を担うために、アフリカから奴隷が「輸入」されるようになったのです。
初期の記録では、スペイン人 Luis de Castilla が
- 100組のアフリカ系奴隷
- 牛と馬200頭
を連れてオアハカへ移動したとされています。
奴隷の多くは
- 西スーダン
- コンゴ
- アンゴラ
- ギニア
などの地域出身で、イスラム教徒も多かったと言われています。
彼らはまず ベラクルス港 に到着し、その後 メキシコシティの奴隷市場で売買され、各地へ送られていきました。
そして彼らの子孫は、今日もメキシコ社会の一部として暮らしています。
アフリカ系メキシコ人の主な居住地域

しかし、こうした歴史はあまり表に出ることがありません。
実際、観光地を歩いていてもアフリカ系メキシコ人に出会うことは多くありません。
現在、アフリカにルーツを持つメキシコ人は全人口の約1.16%とされています。
メキシコの人口を約1億2000万人とすると、およそ140万人がアフリカ系メキシコ人という計算になります。
主な居住地域は次の通りです。
1位 ゲレロ州(アカプルコがある州)
2位 オアハカ州
3位 ベラクルス州
この3州でアフリカ系住民の約20%弱が暮らしています。
その他にも
- チアパス州
- ミチョアカン州
- コアウィラ州
などにもコミュニティがあります。
特に
- Juchatengo
- Jamiltepec
- Pinotepa de Rey
- Huazolotitlán
といったオアハカ南西部やゲレロ南東部の地域では、サトウキビや綿花農園で働かされていました。
彼らはアフリカと同じような蒸し暑い気候への適応力が高く、労働力として重宝されたのです。
奴隷から逃亡して生まれたコミュニティ

しかし、過酷な労働環境下、一部の奴隷たちは農園から逃げ出し別の地域にコミュニティを作りました。
そうした場所では、現在でもアフリカ系住民が多く暮らしています。
その代表的な場所が、ベラクルス州の ヤンガ(Yanga) という町です。
ここは、逃亡奴隷と一部のメソアメリカ系住民が共に暮らしていた場所として知られています。
現在でも、こうした地域では独自の文化や音楽、習慣などが受け継がれています。
観光地だけを巡っていてはなかなか出会えない、「もう一つのメキシコ」がそこにはあります。
ただの「アミーゴ」だけでは語れないメキシコ社会
一方で、アフリカ系メキシコ人への社会的な風当たりは強いものがあります。
つまり差別です。
一見すると、メキシコはアメリカのような分断社会ではなく、おおらかな国のように見えるかもしれません。
しかし実際には、差別の歴史が色濃く残っています。
植民地時代のヌエバ・エスパーニャでは、人種による分類が存在しました。
例えば
- 黒人の血が 1/4 → Cuarterones
- 1/5 → Quinterones
と呼ばれ、スペイン人社会から排斥されました。
さらに Blanqueamento(白人化) という制度もあり、スペイン系の血統を証明する書類まで存在しました。
現代メキシコ社会の「見えない存在」
アフリカ系メキシコ人は、現代でも社会参加の機会が限られています。
教育へのアクセスも十分とは言えません。
例えば非識字率は
メキシコ全国平均:5.5%
アフリカ系コミュニティ:15.7%
と、約3倍に達します。
都市部では先進国レベルの発展を遂げているメキシコですが、
同時に文字を読むことができない人々が存在する現実もあるのです。
肌の色や歴史的背景による不平等のため、彼らはメキシコ社会の中で「見えない存在」になっています。
実際にメキシコの政界、経済界、著名人の中でアフリカ系メキシコ人を見かけることは、ほとんどありません。
旅行でメキシコを訪れるだけでは、こうした歴史や社会背景に触れる機会はあまりありません。
しかし、その存在を知るだけでも、「メキシコ」という国の見え方は大きく変わります。
超多民族国家メキシコ
メキシコは、「メキシコ人」という一言では語れない国です。
先住民、スペイン系、メスティソ(混血)、そしてアフリカ系メキシコ人。
かつて確認されているだけでも124もの言語に支えられた文化の上に、現在のメキシコ社会が築かれてきました。
旅行で訪れると、美しい街並みや遺跡、美味しい料理に目が向きがちですが、その背景にある歴史や文化を知ることで、旅は何倍も奥深いものになります。
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「なぜこの文化が生まれたのか」
「メキシコ社会はどのように形づくられてきたのか」
という背景も、できるだけ分かりやすくお話ししています。
メキシコの魅力は、遺跡だけでも、美食だけでもありません。
そこに暮らす人々の歴史や文化を知ることで、「本物のメキシコ」が見えてきます。
歴史や文化がお好きな方はもちろん、
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