テオティワカンってなに・後編

メキシコ在住15年目、

「メキシコの素顔を世界に!

をモットーに、

メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。

 

テオティワカンて何・後編

☝☝☝南北5キロを貫く「死者の道」は本当に「道」だったのか?
奥が「月」、右が「太陽」の“ピラミッド”

 

前回は、

「テオティワカンにアステカ人もいたのか!?」

というところで終わりましたネ。

 

その答えは・・・

 

「いいえ」

テオティワカンとメシカ(アステカ)は時代が重なりません。

 

テオティワカンは700年代には放棄されたと考えられています。

アステカで知られるメシカ人は、

1200年から1300年前半にかけて、

ようやくメキシコシティがある一帯に移り住んできました。

 

時代が500年ぐらい違うんです。

 

そんな超複雑な社会構造を持つ都市になったテオティワカンは、

紀元後200年から900年頃まで続くクラシコ期の中頃(500年頃)までは、

メソアメリカ最大規模の都市てして繁栄していたと考えられています。

 

同時期の大都市ですと、

マヤ前期のティカルやカラクムル、

東のトトナカ文化のエル・タヒン、

オアハカのサポテカ文化の首都モンテアルバン、

などですね。

 

どれぐらい繁栄していたのかと言うと、、、

人口は10万人以上、

街の広さも20㎢、

住居の数はざっと2000を数えました。

 

この規模を、

当時の世界の他の都市と比べると、、、

東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルや、

エジプトのアレクサンドリアなどの大都市についで、

世界6番目ぐらいの大きさだったと推測されます。

 

その超複雑な社会構造は、

皆さんもご存知の巨大宗教的建造物群をご想像頂ければ容易にご想像頂けると思いますが、

高度な建築技術も然ることながら、

多岐に渡る各職能集団を纏める、

強力な統治力があったことがうかがえます。

 

ただでさえ、

多様な文化の寄せ集め社会だった上に、

巨大建造物をいくつも建設する統制力。

 

この圧倒的なパワーの影響力は、

自陣を超え、

遠く何百キロも離れた場所でも記録として残されています。

 

有名な場所ですと、

隣国グアテマラにあるマヤ圏のティカルやキリグア、

ホンジュラスのコパンなど、

6ヶ所にテオティワカンに関する記録が残っているんです。

☟☟☟最も遠い関係都市の位置関係

 

オアハカのサポテカの首都、

モンテアルバンや、

太平洋側のハリスコ州の2ヶ所などにも、

広範囲に強いコネクションがあったと記録から解っています。

 

だ・か・ら、

メソアメリカのクラシコ期(200年から~900年頃まで)、

中世前半で最も大きな影響力があった都市だと考えられています。

 

だ・か・ら、

スゴイのであって、

行って感じる価値があるんです。

 

ちなみに、

皆さんが見られる景観は、

考古学的根拠無くして“再建”されてしまったものです。

当時、

その景観だったわけではありませんのでご注意を。(苦笑)

 

発掘調査は非常に難しく、

調査を始めたらちゃんと保護しなければすぐに傷んでしまいます。

保護するのにもおカネが掛かります。

☝☝☝こんもりしたところにまだ宗教的建造物が眠っています。

 

だからと言って、

根拠に基づかず、

適当に“再建”してしまうのは愚の骨頂。

だったら、

べつの場所におカネ儲けするためにテーマパークを造ればいいんです。

僕はシラケますが・・・

 

テオティワカンに行かれましたら、

先ずは、通称“太陽のピラミッド”の前あたり、

全体が見渡せそうなところで、

当時の様子を想像してみて下さい。

 

建造物は朱色のような色と白が基調の景観で塗られていました。

 

通称“ピラミッド”があるエリアというのは、

上流階級の人間しか入ることができなかった神聖な場所なんです。

“ピラミッド”も、

今日のようにドカドカ上るモノではありませんでした。

天の神と、

生が集う地上の中間地点、

神と繋がることができる神聖な場所で、

宗教的儀式を行う場所だったんですね。

 

あと大事なポイントとして、

他の都市に見られないもう一つの特徴は、

絶対的な首長の存在がない、

ないしは薄いということです。

絶対的な権力者無くして、

こんな巨大な「多民族国家」

をどうやって統治していたんでしょうね!?

これが分かれば現代の多国籍企業経営のヒントにもなったりして。(笑)

☝☝☝一部の建物は、階層式の構造になっています。
敢えて前の層を壊さずに、次の層を建設する。
何故だと思います?
これ、メシカの首都テノチティトランでも同じなんです。

 

1000年弱にも渡って繁栄したテオティワカン。

その最期はどのような状況だったのか。

人々はどこへ移り住んだのか。

 

その重要度から、

テオティワカンの没後も、

周辺の住民からは聖地として敬われていました。

 

こんな風にですね、

当時の社会や、

人々の生活などを想像して頂くと、

とても興味深いテオティワカン観光になる筈です。

 

これはテオティワカンだけでなくても、

他の遺跡でも同じことが言えると思います。(笑)

 

ぜひぜひ当時の想像を膨らませて歩いてみて下さい~

 

#MexicoCentralTours

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