トラテロルコ:メキシコシティの知られざる遺跡の話(1/3)

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メキシコを知る上で忘れられない場所。

石造りの遺跡と奥に教会がみえる

👆トラテロルコ遺跡中心部とその奥のカトリック教会

 

ホセホセさんが好きなので、彼の曲が多くなりますが。(笑)

Te quiero asi、「そんな風にあんたが好き!」という曲です。

YouTube player

 

忘れちゃいけない、#メキシコシティ の大事な #遺跡

#トラテロルコ って聞いたことあります?

 

メキシコ旅行を計画するときに、

有名な固有名詞というのがいくつか出てきます。

 

その筆頭を上げると、、、

 

メキシコ(国)

メキシコシティ(首都)

テオティワカン

アステカ

マヤ

オアハカ

チチェンイッツァ

カンクン

などなどなど

 

で、

その「などなどなど」の中にトラテロルコが入っているのかというと・・・

たぶん入ってない?(苦笑)

 

ガイドブックに出ているとすれば、

「3文化広場」と名付けられている一角に、

「トラテロルコ」と出ていると思います。

でも、

メキシコ旅行を計画している人が、

「トラテロルコ」を指名するようなことは、

まぁ、ないでしょう。(沈)

たぶん「ついで」に連れていかれる場合が多いと思います。

 

3文化広場と呼ばれる所以は、

文字通り、「3つの文化」が一ヵ所に融合しているからなんです。

👆この景色。手前がメソアメリカ時代、教会が植民地時代、背後の団地が現代のもの。

だから「3文化」。

スペインの植民地時代と現代は明日か明後日か明々後日ぐらいに書く予定で、

今日はちょっとだけ、

この「謎」の「トラテロルコ遺跡」について書いてみます~(笑)

 

どこにあるのかというと、ココ👇です。

 

今日メキシコシティの中心部、

ソカロという広場がある周辺ですね、

歴史地区なんて呼ばれていますが、

まさにそのソカロがある一帯は、

「テノチティトラン」と呼ばれていて、

皆さんも一度は聞いたことがあるでしょう、

#アステカ 帝国」の首都が置かれていた場所なんです。

 

厳密には「アステカ」ではなくて、

#メシカ 」というのですが、

細かいことはまた別の機会か、

メキシコツアーでご説明します~。(笑)

 

で、

そのテノチティトランのちょいと北のあたりですね。

車で5分ぐらいで着いちゃいます。

 

地図で見ると面白い。

当時、

というのはスペイン人が来た1519年には、

このメキシコシティ中心部というのは、

👇こんな風に湖に浮かぶ島でした、(左が北)

アステカ帝国の首都メシカ帝国の地図

ということは何度か書いてきましたが、

👆この地図っていうのは「新しい」もので、(苦笑)

更に前、

つまり「アステカ」で知られる「メシカ」族が、

この地に定住した当時1300年代前半というのは、

1つの島ではなくて、

5つの島が点在するだけだったんです。

👇こんな風に。(左が北)

一番大きな島がテノチティトラン中心部になります。

テンプロマヨールで知られる遺跡やソカロ、メトロポリタン大聖堂がある一帯ですね。

トラテロルコは左の二つの島の上の島に、

冒頭の写真にあるトラテロルコのテンプロマヨールができ、

後に下の島とくっつきます。

200年の間にこれらの島がくっついて、

一つの島になるわけです。

👇こんな風にくっつきます。黒い線がくっつく前の島。

 

今日は島自体が消滅して、

巨大なメキシコシティが存在しているわけです。

👇こんな風に湖や島というのは跡形もなく消えています。

今日のメキシコシティの様子

 

トラテロルコとは・・・?

で、

そのトラテロルコというのは、

北の方にあった二つの島を核として形成された小さな都市なんです。

トラテロルコって今はTlatelolcoと書くんですが、

元々はXaltelolco(ハルテロルコ)と呼ばれていました。

その意味は・・・

「砂の小山の上にある場所」

 

水色の地図👆の左側の島が、

当時は小山だった、

ということです。

 

メシカ(アステカ)のテノチティトランと、

トラテロルコは別々の部族によって統治されていた都市だったんですが、

最後はクアウテモックという皇帝が、

両方の都市を統治していました。

👇クアウテモック

 

今は「メキシコシティ」という、

一つの巨大な都市となっていますが、

スペイン人が入ってくる前の当時というのは、

湖の畔に点在した異なる部族の小都市がたくさんあったんですね。

それらの小部族というのは、

元々このメキシコシティがあるメキシコ盆地出身ではなくて、

「北西の方」の出身と考えられています。

その「北西の方」というのがまたややこしくて、

北西の方のどこが出身なのか、

まだ解明に至っていないのです。

 

その「出身地」のことを、

彼らの伝説ではチコモストク(Chicomoztoc)と呼ばれていて、

そこから「7つの血筋」の集団がメキシコ中心部に移住したとされています。

その内の一つがテノチティトランの「メシカ」であり、

もう一つがトラテロルコに居住した「テパネカ」です。

 

両者は同じナワ(Nahua)言語族で、

同じナワトル語を話すのですが、

別々の部族ということです。

最後は一人の皇帝が両都市を治めました。

元々は別々の都市で、

時には戦をしていたようです。

 

メシカ族が「占拠」したテノチティトラン、

そしてテパネカが占拠していたトラテロルコ。

この場所で数々の歴史的な重要な「事件」が繰り広げられたのです。

 

続きはまた次回に~(笑)

トラテロルコ:メキシコシティの知られざる遺跡の話・中編

 

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