あの有名な地域って一時期メキシコではなかったんです。(後編)

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👆メリダの州庁舎にある絵画

 

前回の続きです~👇

ユカタンの領土問題、メキシコの領土問題。(前編)

 

紙一重のところで歴史は大きく変わります。

実は・・・

 

今日カンクンがあるユカタン地方は、

ユカタン共和国として「独立してしまった」んです。(!?)

1841年に。

 

そう、

今日のメキシコは、

一歩間違えば、

今日のタバスコ州とチアパス州まで、

となっていたかもしれなかったんですね~。

 

もし一歩間違っていれば、

カンクンやプラヤ・デル・カルメン、トゥルムといったリゾート地、

チチェンイッツァ、ウシュマルといった有名な遺跡、

ピンクレイクなどは、

「メキシコのものではなかった」のです。

 

まぁ、

それ目当てで来る旅行者は、

それがメキシコのものか、

ユカタン共和国のものかはどちらでもいいと思いますが、(苦笑)

ユカタンはそんな大混乱期を経ているのです。

 

1841年に独立したといっても、

7年後にはメキシコ政府に戻っています。

もっと言えば、

1843年に一時戻るんですが、

1845年に再び独立し、

約半世紀にも渡って続くことになる、

カスタ戦争という「マヤ族の反乱」、

ユカタンの不安定な時代へと繋がっていくのです。

 

ことの真相は・・・

もっとも、

これには裏の話があって、

ユカタン独立側のバックにはアメリカがついていたんです。

なぜかって、

テワンテペック地峡が欲しかったから。(呆)

👇ここ

 

現に1853年にLa Mesilla地方を割譲した際、

代金と一緒に、

テワンテペック地峡の運河建設の権利もアメリカに渡しているんです。

結局この話は流れて、

結局パナマになりました。

もし実現していたらどうなっていたことやら。

 

当時のメキシコは中央集権制で、

地方の役人を自分たちで決められなかったんです。

それに異を唱えて始まったユカタン独立の動き。

そして事実上の「ユカタンの独立」を経て、

税金や土地のはく奪など白人運営による非合理な政治運営への反感が相まって、

更にはマヤ族側のリーダー格の処刑があり、

耐えかねたマヤ人が武装蜂起します。

これがカスタ戦争というもの。

1902年ごろまで約50年に渡って混沌とした状態が続くのです。

 

👆こんな状態じゃ、

優雅にバカンスや遺跡巡りどころじゃないですね。(苦笑)

 

この時代は今日カラクムルがあるカンペチェ州や、

カンクンがあるキンタナロー州というように区分されていなく、

「ユカタン」という一地方だったんです。

 

「カンペチェ」という州がユカタンから分離されたのは1857年のこと。

でもその後に訪れるマキシミリアノの第2次メキシコ帝国で自治権を失うも、

ようやく1867年になって「正式に」ユカタンから分離します。

 

カンクンがあるあの州の誕生。

さらに、

日本は日清戦争の前年、

1893年にようやくカンクンがある「キンタナロー州」が誕生します。

州というよりも、

「国防」のための戦略的な地域という位置づけと言えますでしょうか。

 

というのも、

地図で見ていただければ分かりますが、

キンタナロー州というのはメキシコ最東端に位置します。

👇

 

メキシコ中央政府から1500キロ以上も離れている上、

住人も少なく、

まぁ一言で言っちゃえば放置されていた地域だったんです。

だから、

その南の今日のベリーズ(イギリスの旧植民地)一帯から、

ユカタン側のマヤ族に武器が渡っていたんです。

今でこそオンド川(Rio Hondo)でメキシコ-ベリーズの国境が成されていますが、

当時は国境も何もなかったんですね。

しかもその一帯はイギリスが入り浸っている。

 

(!?)またガイジンの侵略か?

 

国境も曖昧だしベリーズ側からの武器の流入もあるし、

これは良くないよねって思った当時の大統領ポルフィリオ・ディアスは、

イギリス政府との交渉をさせに高官を送り、

現在の国境を決めたんです。

 

「はい、これで国境は決まりね。だからおたくのマヤ族がうちのマヤ族に武器を密輸することも止めてね」と。(苦笑)

 

(👆昔のマヤ族にはメキシコもベリーズもグアテマラもホンジュラス関係ない)

 

キンタナロー州は、

一種の緩衝地帯とでもいうのでしょうか。

この後もキンタナロー州は消えて復活、消えて復活を繰り返し、

1935年から「キンタナロー州」を維持しています。

 

国境は柵でなくてもいいようです。(笑)   

ちょっと今の日本の領土問題とは違い、

現実に尋常でない領土が侵され奪われ、

その地にウン千年と続くメキシコ固有の民族と白人政権の思惑の不一致、

陸続きという地理的な理由から発生した、

一連の「メキシコの領土問題」。

 

今でこそ領土問題は日本ほど散見しなくなっていますが、

例えばチアパス州のサパティスタは今でも

「ココは自分たちの領土」と主張するなど、

外国とのいざこざというより、

メキシコ内部から離反する動きがあったりします。

 

メキシコの南の国境は、

国境といってもそれが「川」であったり、

「印」があるだけで、

アメリカとの国境みたいに「壁」があるわけじゃないんですね。

👇右がグアテマラ、左がメキシコ

👇アメリカとの国境

南の国境地帯にいけば、

イミグレも税関もなく、

パスポートやビザもなく「自由に」行き来できます。

少し進めばイミグレがありますが、

一定の距離までは「入国自由」。

不思議な感覚です。(笑)

 

そんな、

今日のメキシコのカタチが決まる上で、

重要な経緯があるユカタン地方。

そんなユカタン地方に、

世界的に有名なカンクンやチチェンイッツァがある、

ということを、

頭の片隅に入れてご旅行頂くと、

少ぉし、

メキシコという国が辿った「歴史」が分かってきます。

これも「点と点」を繋ぐ作業になりますが、

点線上に有名な観光地もたくさんあるので、

歴史をなぞりながらのメキシコ旅行はより面白くなるでしょ~。(笑)

 

よい週末を~

 

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