メキシコのセシーナ。

メキシコ在住15年目、

「メキシコの素顔を世界に!

をモットーに、

メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。

 

セシーナ。

 

スペイン通の方でしたらきっとご存知ですね。

あと日本でも「純国産セシーナ」

って売られているようでビックリしました。(笑)

 

でもちょーっと、

これから書くメキシコのセシーナとは違うんですねぇ。

日本のセシーナは「生ハム」と書かれています。

スペインではセシーナと言えば干し肉でもあります。

 

メキシコのセシーナはこれです☟☟☟

 

右の黒っぽい方が普通のセシーナ。

左のオレンジに色がチリバージョンです。(笑)

ちなみに左端はチョリソ、腸詰めです。

右端はベーコンです。

 

塩を振って天日に晒しますが、

カリカリに乾燥はさせません。

 

これを焼肉のように焼いてそのまま食べたり、

トルティジャに包んでタコスにして食べるの一般的です。

あとはチラキレスと一緒にもあります。

こんな感じ☟

ちなみにこれは僕が週末に好んで食べる朝ごはんです。

「朝から焼肉!?」

と思われるかもしれませんが、

これが意外といけるんですよぉ。(笑)

 

このセシーナ、

僕の大好物でして、

先月までほぼ毎週400g買っていました。(嫁と二人分で)

でも最近控えるようにしているんです。

ちょっと高い上、

塩分が多いんですね。(汗)

 

塩分だけならまだしも、

しょっぱいだけに、

ご飯をモリモリ食べ過ぎちゃうんです。(苦笑)

☝☝☝市場のセシーナ売り場の様子

 

ちょっと褒めてあげるとすると、

フライパンで焼いてトルティジャで包むだけで簡単にお昼ごはんにもなって、

塩っ辛いので、

酒の肴にもなります。(笑)

☝☝☝オアハカでは一般的にタサホ(Tasajo)と呼ばれますが、セシーナとも呼ばれています。

 

同じセシーナでも、

店や生産者によって味が激変するんです。(!?)

美味しくないものは全然美味しくなく、

しょっぱ過ぎたりします。

僕らは毎週火曜日にいくティアンギス(Tianguis=市場)の肉屋

に売られているものが大好きなので、

そこでいつも買っています。

 

それで、

なんでスペインの肉の習慣がメキシコにあるのかと言うとですね、

これも植民地政策の一環で乗り込んできたスペイン人によって、

このメキシコの地にもたらされたからです。

16~17世紀の話です。

 

セシーナはスペイン原産と書きましたが、

スペインの中でも、

元の元の生まれ故郷はレオンに近い

アストルガ(Astorga)ではないか、

と言われています。

☟☟☟ここです。(赤印)

 

今日、

メキシコのセシーナの一大生産地と知られるジェカピストゥラ(Yecapixtla)

メキシコシティの南部のモレロス州にある小さな街です。

☟☟☟ここです。

☝☝☝ジェカピストゥラの入り口

 

この一帯はイチジクの生産もあり、

僕は10年以上前に、

この近くで買い付けては、

主にカナダに輸出していたことがあります。

 

このエリアというのは、

実はオルメカ文化の影響があったようです。

現にジェカピストゥラの南20キロの所に

チャルカツィンゴ(Chalcatzingo)という都市跡(遺跡)があるのですが、

オルメカ文化の痕跡があるんです。

 

オルメカ文化って、

あの巨大人頭像で知られる、

今のベラクルス南部とタバスコ州に興った、

メソアメリカ最初の文化でしたね。

その文化がなぜこんなところに!?(驚)

 

岩に残された彫刻があるのですが、

この一帯のアルティプラノ・セントラル圏では最古の彫刻で、

推定3500年前のものとされ、

オルメカのラ・ヴェンタと同時期に発展したと考えられます。

 

☟☟☟ここです。

今日見られる宗教的建造物は、

エピクラシコ期(700-900年)のものと考えられています。

 

ちょいと話がそれましたが、(苦笑)

 

その当時から、

ジェカピストゥラは、

交易のルート上にあったんです。

 

メシカ帝国をのっとったエルナン・コルテスに、

スペイン王室からこの土地を与えられたこともあり、

コルテスは家を建てるなどしこの土地を好みます。

 

ジェカピストゥラの中心部にある教会(サン・フアン・バウティスタ)は、

テオティワカンに近いアコルマンなどと並び、

メキシコの地で最も初期の時点で建設が始まったカトリック(ヨーロッパ)の建造物で、

1535年から1540年にかけて建造されました。

その証拠にアラブ文化の建築要素が見られます。

☟☟☟上部にある小さなとんがりコーンをアルメナスと言います。アラブの建築要素です。

これ以降、この地域の中心として栄えて生きますが、

1500年代後半には隣街クアウトゥラの台頭があり、

人口が減り始めますが、

当時のスペイン王フェリペ2世からの命令もあり、

このエリアが再度発達します。

 

その一方で、

地表に水源が乏しく、

農耕が発展しなかったんですね。

 

だ・か・ら、

この地域で畜産業が発展したんです。

肉はもちろん、

牛乳やチーズが作られ始められます。

そこで、

スペイン人達により、

セシーナの製造ノウハウが持ち込まれ、

今日までメキシコのセシーナの一台生産地として知られているわけです。

 

街の目抜き通りを通ると、

至る所にCecinaと書かれた看板が目に飛び込んできます。

 

ここにはまず日本の旅行者は行かないでしょう。(苦笑)

“主要”観光地から離れている上、

通り道でないためです。

僕でしたら、

午前中に山をハイキングして、

お昼に下ってジェカピストゥラでご飯、

その後にテポストランに登ってもイイですし、

チャルカツィンゴ、ソチカルコ遺跡経由でタスコにも行けます。(!)

 

ぜひぜひ、

超ローカルグルメ&ツアーもお楽しみください~。(笑)

 

#MexicoCentralTours

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