ユカタン半島西部を支配していたマヤの都市エツナ

メキシコ在住15年目、

「メキシコの素顔を世界に!

をモットーに、

メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。

 

先週末は4ヵ月ぶりの“外出”で、

ゆっくり羽を伸ばせました。

やっぱり旅行っていいですね。

4ヵ月に渡る引きこもりの末、

そうつくづくそう感じました。

 

エツナ。

Edzn áと書きます。

ピラミッドの前で写真を撮る女性

ここからマヤ後期に入ります。

マヤ後期と言いましても、

マヤ前期には全く存在していなかった訳ではないんです。

 

どういうことかと言うと、

例えば、

前々回のパレンケ遺跡は400年から900年の都市跡

と言いましても、

400年にパレンケ市の設立記念式典があって、

市長さんが、

「今日パレンケ市が誕生しました」

とやっていたわけではないんですね。(笑)

 

その期間というのは、

最も繁栄していたであろう年代で、

その前後にも人の居住はあったのです。

人々がその地に居住を始め、

少しずつ街の建設を始め、

勢力を付けてようやく歴史に名を残す有名都市になったのです。

このエツナはカンペチェ州にあります。

カンペチェと言えば、

マヤ前期のカラクムルも同じ州内にあるのですが、

直線距離で南北に160キロぐらい離れています。

カラクムルの更に北に位置します。

 

メキシコシティからは、

直線距離で940キロぐらい、

車で行くと1155キロです。(苦笑)

直線距離で、

東京から稚内を超えてロシア樺太半島の先っちょまでの距離です。

西は東京から韓国ソウルまでの距離です。

☝☝☝ココです。
Google Mapsより

 

エツナという名前の語源ですが、

これは

チョンタル(Chontal)族の、

イツァエス(Itz á es)

に由来します。

 

そのイツァエスって何かというと、

イッツァ(Itz á)ファミリーの呼び名です。

周辺の他の部族たちは、

この地域に住み始めた彼らを

イツァエス

と呼んでいたんですね。

そして、

イッツァファミリーが住んでいたこの都市を

 “イツァエスの家”

を意味する

Edzn á または Ytzn á

と名付けたんです。

ところで、

メキシコにいらした事がある方であればピンと来たと思います。

イッツァって、

あのチチェンイッツァ

イッツァですね。

チチェンイッツァとは、

「イッツァエスの井戸の淵」

という意味です。

 

事実、

チョンタル族系のイッツァファミリーが、

チチェンイッツァの地に最初に住み始めたのです。

つまり、

エツナとチチェンイッツァは、

同じ“家系”のチョンタル族によって建設が始まった、

ということです。

 

ただ、

年代が全然違います。

エツナにチョンタル族がすみ始めたのは紀元前600年ぐらい

紀元後400~1000年頃に繁栄し、

1450年頃には放棄されたと考えられています。

日本ですと、

飛鳥、奈良、平安時代に繁栄していた都市です。

 

一方チチェンイッツァには紀元後500年代に居住が始まり、

900年~1200年頃に繁栄したとされています。

 

さっきから、

チョンタル、チョンタル

と言っていますが、(笑)

これ何かといいますと、

大きなマヤファミリーの木にある枝の一つで、

前回のトニナ遺跡の説明にあった、

ツェルタル族と兄弟なんです。

つまり、

親は同じ。

いわゆるマヤ語とは従兄弟関係になります。

ややこしいですね。(苦笑)

メキシコにいらして頂いたときにご説明します。

 

エツナの街は25㎢に及びました。

テオティワカンが20㎢と言われていますので、

更に大きかったわけですね。

 

街の中心部には大きく分けて20カ所に、

建造物群があります。

注目すべきは、

同じマヤ文化圏でも、

別の建築要素が使われているんです。

 

どういうことかと言うと、

同じマヤ圏でも、

大きく分けて13の異なった建築要素があるのですが、

エツナは2か3の別の地域の要素が取り込まれているんです。

それだけ他の地域のマヤ文化の影響やコンタクトがあったのですね。

当時は石膏に似た素材で石の壁を塗り、

赤を基調として様々な色で塗られていたと考えられています。

 

イッツァファミリーが、

政治や都市運営、公共事業などの管理を担い、

星の観測や医者のような人、

商業担当や職人と、

技能によってそれぞれグループを作るようになります。

 

社会は厳格な宗教的規則によって統制されいていたのです。

 

重要な点として、

“水の確保”に重きを置いた特徴が見られます。

雨水を集め、

それを貯め、

用水路を確保しています。

この都市には、

現に13ものメインの用水路があり、

更に31の小さなものがあります。

また、

84もの貯水池と、

水を必要な場所に満遍なく行き渡らせるために傾斜を付けた設計となっています。

 

カラクムルと並んで、

ガイドブックにチョコッと載る程度の知名度ですが、

それは交通の便が悪いから。(苦笑)

でも、

ユカタン半島西部を支配していた、

マヤ文化でも重要な都市であったのです。

 

マヤファンなら必見ですよ~。(笑)

 

#MexicoCentralTours

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