一つの時代が終わる時・始まる時

今日はちょっとコアな話です。(苦笑)

歴史に興味ない方は、

よろしければ今日はスキップしてくださいね~。

 

300年続いた統治が終わり、

新たな時代や国が生まれる時ってどういう状況なのか。

 

例えば、

264年続いた江戸時代の幕開のきっかけは、

徳川家康と石田三成の関ケ原の戦いでした。

そしてその終焉は新政府軍と旧幕府軍による戊辰戦争でした。

権力が移行する時というのは、

そのポストを狙う者同士や、

それまで権力を握っていた者との間に争いが生じます。

なかなか握手で、

「じゃ、次よろしくね~」

とはいかないものですね。(苦笑)

スペインの侵略者たちが、

現在のメキシコが存在するエリアに広がっていたメソアメリカに侵略し、

貴金属の採掘とカトリックの布教活動の名の元、

メソアメリカ各地の人々を搾取し、虐げ、

当時世界一の大国であったスペインの植民地、

ヌエバ・エスパーニャを築き始めたのが1521年8月。

 

それから289年後の

1810年9月16日の未明*、

今のドローレス・イダルゴ村の司祭であったミゲル・イダルゴ司祭が、

群衆を村の教会の前に集め、

「Vamos a matar gachupines!」

(スペイン人達を殺そう!)

と言って、

メキシコ独立運動が始まります。

 

ガイドブックにも出ている通例では、

「Viva Mexico!」

と叫んだと言われていて、

現在も独立記念日9月15日の夜には、

大統領や地方の首長が、

国立宮殿や市庁舎から、

「Viva Mexico!」

と叫ぶのが独立記念行事のクライマックスです。

 

ただ実際は、

「Vamos a matar gachupines!]

(スペイン人達を殺そう!)

でした。

確かに大統領が未だに、

「スペイン人達を殺そう!」

なんて毎年言っていたら感じ悪いですよね。(苦笑)

 

(*メキシコの独立記念日は9月16日です。

でも祝うのは15日。

理由は独裁者ポルフィリオ・ディアス大統領が、

15日の自身の誕生日と一緒に祝うために1日前倒したためです)

☝☝☝まさに独裁者のやりたい放題。後に戻せばいいと思うのですが、ずっとこのままです。

 

メキシコが300年に渡るスペインによる統治後に独立したときはこうでした。

 

1810年に始まった独立運動(戦争)。

独立支持派とスペイン植民地政府側の争いは長期化し、

1821には11年目を迎えていました。

もちろん両者とも長引く争いに疲弊していました。

 

日本は伊能忠敬の『大日本沿海輿地全図』が完成した年です。

 

スペイン植民地政府側には、

スペイン本国の王室による直接統治を望む声すら上がっていて、

直接統治を望むグループは密かに戦略を練っていました。

その中に女たらしのアグスティン・デ・イトゥルビデ(Agustin de Iturbide)という、

植民地政府軍の大将がいたんです。

☝☝☝イトゥルビデ

その秘密会議でマリア・イグナシア(通称La Guera)という女性に出会い、

不倫を始めるんです。(現に美人だった 笑)

イトゥルビデは1805に裕福な家庭の妻と結婚していましたが、

彼女の家庭の経済力が魅力的で別れられませんでした。

☝☝☝マリア・イグナシア“La Guera”

 

マリア・イグナシアは、

不倫している“恋人”イトゥルビデに、

「もう戦争止めたら?」

と提案します。

 

これによりその植民地政府軍大将は、

その混乱した情勢に乗じ、

火事場泥棒的に権力を手に入れようと思い始めたのでしょう。

独立派に寝返ります。

でも平和的に。

 

独立支持派の幹部のヴィセンテ・ゲレロと話し合い、

その後、

植民地政府トップと、

ベラクルスのコルドバでコルドバ条約を結び、

これで独立戦争は終結、

独立は事実上完了。

植民地政府軍、独立軍、そして政府トップを手中に収め、

首都メキシコシティに無血入場します。

 

これにより君主が存在しない状態となり、

イトゥルビデが臨時内閣を結成し、

執政期間となります。

翌年、臨時内格の議員を排除し自らが皇帝となるために、

セラジャ(現在ホンダの工場がる街)で反乱を企てます。

その後1822年9月に、

第一次メキシコ帝国ができ、

イトゥルビデ皇帝が誕生しました。

 

一方で、

君主として機能していないと見られるや否や、

アメリカ政府にも内通され、

1823年3月には辞職させられ国を追われます

イタリア、スイス、ベルギーを経由してロンドンに到着し、

そこから

「スペインがメキシコを奪還する」

というデマを流します。

これによりメキシコの新政権に、

Persona Non Grataに指定され、

再びメキシコに上陸した場合には、

国家反逆罪で死刑と宣告されます。

これを知らずに1824年7月にタマウリパスに上陸後、

彼の友人達によって捉えられ銃殺されます。

 

同年10月4日にメキシコ合衆国憲法が制定され、

メキシコ合衆国(Estados Unidos Mexicanos)

が誕生しました。

 

どうですかこの権力への執着心と未練がましさ。(苦笑)

こういう人達が、

後のメキシコ政権の中枢に多く出てくるのです。

独立により民主国家としての道を歩み始めたメキシコですが、

それは外見だけ。

権力への固執が招く闇の多い時代の幕開けとなるのです。