初めて瞑想をしてみた。
メキシコ在住15年目、
「メキシコの素顔を世界に!」
をモットーに、
プロのメキシコ旅行ガイド兼ドライバーをしています岩﨑コウです。
今日もメキシコから書いています~
結局のところ、
おおらかに生きた方が得をする。
☝☝☝これは瞑想していません。カンペチェの湖を眺めているだけです。(笑)
昨晩寝る前に、
朝から深夜まで“仕事”している僕はとうとう嫁に呆れられて、
彼女に言われるがままに、
生まれて初めて
【瞑想】
をした(させられた)んです。(苦笑)
僕はあまり科学的に証明できないものは信じない性なので、
宗教とか幽霊とか噂とか、
あとおまじないとか、(笑)
興味がないんです。
(仏教以外は)
だから、
実は瞑想についても、
僕の中では勝手にその類に入っていて、
特に調べもせず、
完全に【毛嫌い】状態でした。
7分間です。
暗闇で目を瞑って好きな事に思いを巡らせる。
そうしたら何が起こったか。
思いを巡らせる、
というよりも
「巡って来た」
という感覚です。
知らず知らずのうちに、
自分の生まれ故郷の静岡の実家での出来事が、
頭の中に走馬灯のように浮かんでいました。
しかもかなり鮮明に。
声も。
居間での一家団欒、
帰宅時にいつも出迎えてくれていた今は亡き母親、
よくバイクで海に連れて行ってくれた父親、
いつもふざけ合っていた弟、
家の匂い、
ドアが閉まる音、
家の中を風が通り抜ける音、
階段を上り下りする音、
母親がガレージで出荷用のミニトマトを袋詰めするカチャン・カチャンという音。
あたかも昨日の事かのように浮かび上がってきました。
その7分間を終えた時に、
涙が出ていました。
それが眠たくて出ていたのか、
瞑想によって出たものなのかは分かりません。(苦笑)
そして思ったのです。
「あの時間てもう二度と戻って来ないんだなぁ」
と。
いくら今すぐ日本に帰ろうが、
誰かにおカネを払おうが、
どうしたって戻らない。
でもできるのであれば、
もう一度一家四人で居間でご飯食べたい。
でもそれは不可能なことなんだ、
と改めて悟って噛みしめました。
(いかんいかん、ホントに泣きそうです・・・)
そして思いました。
「不満を抱きながら生きたくない」
なぜならば、
その時間てもう戻りませんから。
僕が言う時間て、
忙しい日本のビジネスマンのように、
四六時中ストイックに、
隙間時間を使って無駄なく生きる、
というのとはちょっと違います。
時間の質ですね。
だから、
例え何もしていない時間でも、
それが自分の為になっていれば良い。
例え嫁と喧嘩しても、
それが自分たちの幸せに繋がるものであれば良い、
という考えです。
逆にやる気が落ちて疲れてしまうような空き時間だったり、
いつも同じことで喧嘩する時間、
査定を気にして上司に媚びるために会社に居残る時間というのは、
決して良いものではないですね。
安定収入はあるが、
自分にウソをついてやり続ける仕事とか、
もっての他です。
時間についてそんなに深く考えたことは無かったのですが、
昨夜のたった7分の時間で、
そんな思いが更に強まりました。
今コロナで開店休業でこうやってブログ書いている時間、
料理をしている時間、
家で筋トレしている時間、
お客さんとやり取りしている時間、
嫁と酒を飲んでいる時間、
寝る事だって、
精一杯やって行きたい。
そんな事に気付けた7分間は、
僕にとても価値があるものでした。