オルメカはなぜ注目される?

メキシコ在住15年目、

「メキシコの素顔を世界に!

をモットーに、

プロのメキシコ旅行ガイド兼ドライバーをしています岩﨑コウです。

今日もメキシコから書いています~

☝☝☝オルメカ文化のラ・ヴェンタ遺跡

 

この前書きそびれたオルメカ文化です。

 

1521年にスペイン人がメシカ帝国を乗っ取るまでの、

約3000年という時間に各文化が存在したエリアを

メソアメリカ

それらの文化の集まりを

メソアメリカ文明と呼んでいます。

 

そしてその始まりが、

オルメカ文化

です。

だから考古学的にオルメカ文化が注目されるわけですが、

こと“観光地”としては、

スポットライトを浴びませんね。

 

なぜならば、

「交通の便が悪いから」

(ここで僕“プロのドライバー”の出番です 笑)

とか、

「観光的に“有名”じゃないから」

です。

 

観光的に有名というのは、

例えばカンクン、

サンミゲルや、

テオティワカン

などですね。

 

先日のブログの内容じゃないですが、

「有名である・有名ではない」

とか、

「人気観光地ランキング」

というのは、

ガイドブックやネットやテレビなどのメディア、

その他が身勝手に作り上げた“商業イメージ”なんです。

それは本来の“価値”ではないんですね。

 

愚痴はここまでにして本題に戻しますと、(苦笑)

メソアメリカ文明最初の文化という点も然ることながら、

その他にも大事な要素があるんです。

 

後の他の地方の文化にもその影響が伝承されたという点から、

【母なる文化/Cultura madre

と呼ばれています。

 

オルメカ文化は紀元前1500年ぐらいに、

ベラクルスのサン・ロレンソという地域で興るのですが、

まず特徴的なのが、

ヒエラルキー(階級社会)に基づく政治システムがあった事。

 

それを表すのが、

有名な人頭像カベサ・コロサルです。

この人頭像は当時の首長のものだと考えられており、

現に歴代順に並べられています。

 

それまでそのような政治組織は、

メソアメリカの他のどの地域にも見られなかったんです。

 

あとは信仰などの世界観

例えば“山”。

昔も今も生きるためには水が必要です。

水を得るには雨が必要です。

雨がなければ川も湖も干上がります。

今のように貯水池やダムなどありませんでしたからね。

 

全ては雨にかかっていたんです。

 

雨は人間に生命を与え、

そして大地に植物を生やします。

 

そんな掛け替えのない水。

それを大地に注いでくれる“雨”を

とても神聖なものとしていました。

そしてその“生命の水”雨が降り注ぐ空に近い場所、

つまり“山”を神聖な場所としたのです。

☝☝☝これはベラクルス州にある岩です。
右下の地中から湧き出る神聖な“水”を、
“ヘビ”が、ご先祖さんや神様と繋がることができ、
神聖な場所である“山”の頂上に運ぶ様子が彫られています。
現にこの岩の裏には本物の“山”があります。
この場所は紀元前700年ごろから人の定住が始まり、
AD300年ごろまで繁栄したと考えられています。
この南東に直線距離で300キロの所にオルメカ文化圏があり、
年代も一部交錯することから、
このエリアにもオルメカ文化の世界観の伝承があったものと考えられています。

 

山は天にいるご先祖様や神様に近い場所で、

彼らと“繋がる”ことができる

場所として考えられていました。

その模型が通称“ピラミッド”であり、

その“頂上”で儀式など宗教的セレモニーが行われていました。

 

だから、

テオティワカンの通称“月のピラミッド”の真後ろにセロ・ゴルド山があります。

だから、

メキシコシティ中心部(テノチティトラン)真東にあるトラロック山の山頂に遺跡があります。

だから、

ベラクルスの現ヒコにあった小さな集落も、

アカマリン山の山頂に遺跡があり、

その麓にはそれを描いた彫刻が残っています。(上の写真)

 

あとは、

ガイドブックでも紹介されている

通称“球戯場”または“ボールゲーム”。

この表現は間違いで、

【ボールの儀式】

です。

ゲームじゃないんです。

☝☝☝ボールの儀式場

 

これについてはまたもう少し詳しく書きますが、

これもオルメカ文化に端を発し、

その後のメソアメリカの文化の大半の場所にも伝承される事になります。

有名なところですと、

チチェン・イッツァやトゥラでは

全長100mを越す大きな“ボールの儀式場”、

または儀式用のスペースがあります。

チチェン・イッツァ、トゥラともにAD 900年以降の、

メソアメリカでは比較新しい都市です。

オルメカから2000年近い時を経て、

しかも何百キロも離れた別の地域でも受け継がれるオルメカ文化の世界観。

 

だ・か・ら、

【母なる文化/Cultura madre】と呼ばれ、

【価値】があり

【重要】なのです。

 

その一方で、

やはり謎も多いんです。

 

オルメカ文化圏に住んでいた人々は、

いったい誰だったのか。

 

不明なんです。

 

そして何語を話していたのか。

 

確たる証拠は無いのですが、

ソケ(Zoque)という言語だと推測されています。

ソケ語は現在(2020年)でもメキシコ国内で話されている52の言語のうちの一つでもあり、

チアパス州に小さなソケのコミュニティーがあります。

先月このソケの村でコロナの感染者が出たと

ニュースでやっていました。

十分な医療設備もない村です。

 

民俗と言語については、

またこれが超が付くほど複雑ですので、(笑笑笑)

また別の日に少しだけ説明しますね~。

 

そんな事で、

謎が多く、

でもその後のメソアメリカの各文化に

色濃くその世界観を残したという点で、

オルメカは特に重要な文化なのです。

 

いつもながら、

長くなってしまい恐縮です。

ここまでお付き合い頂き、

ありがとうございます。