スペイン人による大虐殺。

メキシコ在住15年目、

「メキシコの素朴な顔を世界に!」

をモットーに、

プロのメキシコ旅行ガイド兼ドライバーをしています岩﨑コウです。

今日もメキシコから書いています~

 

今日も【キオテ通信】を読んで頂きありがとう御座います!

本格的に初めてもうすぐ5ヵ月なのですが、

当初思っていたよりも

かなり多くの方々に読んで頂いていて、

正直自分でもビックリしています。(喜)

 

また、

フェイスブックのコメントや、

僕のメールやラインにも直接沢山のメッセージも頂いていて、

意外な反響の多さに、

ただただ有難く感じております。

 

自分で決めつけるものではありませんが、

このコロナ禍でホント何もできない僕ですが、、、

頂くメッセージを見ると、

「はじめてよかった!」

とつくづく実感しております。

 

いつもありがとうございます!

 

日々改良を重ね、

皆さんにメキシコを知るきっかけとなるような、

そしてメキシコに少しでも興味が湧くような

コンテンツを発信できればと考えています。

今後も駑馬に鞭うち、

パワーアップして参りますので、

引き続きお付き合い頂ければ幸いです。

 

さてさて、

実は今日は別の話題を書こうと思ったのですが、

止めました。(笑)

 

昨日に続き、

歴史の話題が続いてしまい恐縮です。

 

今メキシコは2020年5月20日です。

今から500年前と言えば、、、

日本史ではパッと思い浮かばないのですが、

分かりやすい出来事と言えばマゼランです。

マゼランは1519年にスペインを出発して、

21年にフィリピンで戦死します。

500年前の今日は中間地点の南米あたりにいたんでしょうかねぇ。

 

なんで今日話題を変えたかといいますと、

アステカで有名なメシカ帝国の首都テノチティトランの、

通称“テンプロ・マジョール”という宗教的建造物で、

スペイン人による

メシカ人に対する、

大規模な虐殺があった日なんです。

1520年5月20日。

ガイドブックにも載る場所です。

 

この後も布教という大義名分の元、

修道士やスペイン人による非人間的行為はメソアメリカ各地で続くのですが、

テンプロ・マジョールで2度目です。

 

例えば日本ですと、

戦争、とりわけ原爆について、

忘れてはならない「負の遺産」として、

絶対に繰り返してはならない阿鼻叫喚の経験として、

世代を超えて受け継がれています。(そう願います。)

アメリカでは日本への原爆使用を未だに支持する国民が50%以上いるそうですが、、、

戦争となんら関係ない無実で無防備の市民を殺戮した行為は、

到底許されるものではなく、

アメリカは国として謝罪すべきです。

 

謝罪する・しないは、

犠牲者の数で決められるものではなく、

その行為自体についてされるべきものです。

死者が多いから謝る、

少ないから重要でない、

というのは違いますね。

 

500年前の今日、

今のメキシコシティにある“テンプロ・マジョール”跡では、

スペイン隊の幹部、

ペドロ・デ・アルバラド(Pedro de Alvarado)という人物の指示により、

400人ものメシカ人が殺害されました。

☝☝☝ヴィレイナト博物館(Museo de Virreinato)
ペドロ・デ・アルバラドの肖像画

この事件は未だに、

「テンプロ・マジョールの虐殺」

として歴史に刻まれています。

この日“テンプロ・マジョール”前の広場では、

【トスカトゥル(Tóxcatl)】という季節行事が行われていました。

これはメシカ人の神テスカリポカと

ウィツィロポシュトゥリに捧げられていたものだったんです。

神様達について説明すると長くややこしくなるのでココではしません。

 

その中で、

ウェイ・トソストゥリ(Huey tozoztli)という

セレモニーがあったんです。

といっても生贄の儀式なのですが、、、

一通りの儀式を済ませた、

テスカリポカとウィツィロポシュトゥリに見立てた“囚人達”が、

神の復活を願い生贄にされるのです。

このセレモニーは特に雨や農業、

そしてトウモロコシの豊作を祈願するために行われていました。

メキシコシティでは5月ぐらいに雨季に入ります。

年によって前後したりしますが、

大体この時期(5月20日)が雨季に入る頃です。(でした)

 

この虐殺の様子が描かれた絵を見ますと様子がおかしいんです。

儀式に必要な神様に見立てた人物が見られません。

これにより、

この時期までに既に、

スペイン人によってカトリック教に

改宗させられていた可能性があり、

最初から虐殺する意図で

彼らの伝統儀式トスカトゥル(Tóxcatl)を執り行うよう指示し、

大勢の人が集まったところで虐殺行為に及んだ、

という説。

もう一つはメシカ人自らが、

彼らの偶像崇拝の儀式をさせてもらうよう、

スペイン人に頼んだ、

という二つの説がありますが、

前者の方が有力と考えられています。

 

いくら混血民族とはいえ、

メシカ人も現代のメキシコ人のご先祖さん

彼らの先祖が

突然乗り込んできたスペイン人達によって、

文化を一方的に破壊され、

虐げられたという過去について、

「何とも思わない」

そうです。

 

これ、

色んな人とも話したのですが、

僕は今だに理解できないんです。(苦笑)

 

きっと学校教育がそうなんでしょう。

「メキシコはスペインが入って来てから」、

という考えが強いようです。

混血文化だから、

元は異国人同士でも

“今”から見れば、

「仲間内のいざこざ」

という感覚なのだと思います。

それ故、

古いもの、

つまりメソアメリカ文化、

というものは外に追いやられてしまいます。

 

現代メキシコ人が、

自分達のルーツ、

そしてアイデンティティを考える上で、

難しいでも重要なポイントだと思うんです。

 

明日は歴史以外のこと書きますね~