「メキシコ革命」ってなに・前編
メキシコ在住15年目、
「メキシコの素顔を世界に!」
をモットーに、
メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。
メキシコ革命ってなに・その1
☝革命記念広場
今週20日金曜日が「メキシコ革命記念日」です。
それで一昨日月曜日は振り替え休日で祝日だったんです。
せっかくですので、
「メキシコ革命」
について書こうと思いますが、
時間的に本来あるべき順序で説明ができません。
☝もう原稿は出来ているのですが、
複雑で長いので、
とりあえず革命の部分だけ先に書いちゃいますネ。
後から、そうなった背景をご説明します。
時間的に2日連チャンになってしまい、
メキシコ史にご興味ない方を退屈させてしまうと思いますが、(苦笑)
退屈しそうな方はまた土曜日に覗いてください。
土曜日は土曜日で毎週の如く【メキシコの名曲】の日ですが・・・(笑)
それではまず、
「メキシコ革命記念日」と
「メキシコ独立記念日」は、
全く別の出来事です。
両者は関係ないのでまずはそこをご理解くださいね~
でも、
両記念日はちょうど100年違いです。
独立記念は1810年、
革命は1910年の出来事です。
☝覚えやすいです。
もうご存知だと思いますが、
念のために整理すると、
日本では聞きなれない「独立」
というのは、
本国に従属していた地域(植民地)が、
本国の支配を離れて独立した国家
となる出来事。
一方「革命」とは、
被支配者(国民)が、
支配者を追放するすること。
有名な例だとキューバ革命。
フィデル・カストロやラウル・カストロ、
チェ・ゲバラことエルネスト・ゲバラが率いる革命軍が、
バティスタ政権を打倒した出来事。
もう一つたまに耳にするのが、
「クーデター」。
これは支配者層の中で権力が移行すること。
有名な事件だと「本能寺の変」。
光秀は支配者層(リーダー格)の人間で、
同じ支配者層にいた信長を討った出来事。
(昨今の光秀擁護論は脇に置いておきますネ)
こういった大事件になるには、
深い背景があります。
こと革命の場合は、
現政権に不満を持つ国民の猛烈な怒りが、
支配層を武力で追放しようとします。
メキシコ革命の背景には、
「独裁者」と呼ばれている
ポルフィリオ・ディアスという大統領の存在があります。
彼については後日また、
もう少し詳しく書きますが、
今日のメキシコでも彼の“遺産”というのは目にします。
1907年、
3年後の独立戦争開戦100周年記念の年に合わせるべく、
公共施設の建設がラッシュが始まります。
その中で象徴的でかつ現在も残るものは、
・独立記念塔(モヌメント・デ・ラ・インデペンデンスィア)
・国立劇場(パラスィオ・デ・ベジャスアルテス)
・郵便局本部(パラシオ・ポスタル)
・革命記念塔(モヌメント・デ・ラ・レヴォルスィオン)
・フアレス記念塔(エミシクロ・ベニト・フアレス)
・インスルヘンテス通り(アヴェニダ・インスルヘンテス)
メキシコシティを南北に貫く大通り。
といった建造物で、
今日のメキシコシティの観光地となっています。
これらの建造物の詳細はメキシコで。(笑)
または別のブログで書く機会があればその時にでも。
あとは、
後日説明する第二次メキシコ帝国で
休校になってしまったメキシコの大学が、
ディアスによって再開されます。
とまぁ、
こんな風に、
彼の“遺産”というのは、
現代でも見ることができるんです。
その一方で・・・
彼が「独裁者」と呼ばれる所以、
それは、
彼は敵対する人を容赦なく弾圧した
からです。
メディアの報道の自由を取り上げ、
「秘密警察」を各地に送り込み、
いかなる反乱分子やそれと疑われる人達を逮捕したのでした。
また別の機会に少し詳しく書こうと思っているのですが、
1885年から1896年まで、
ディアス政権に反対する、
メキシコの北の一民族ジャキ(ジョレメ)が抵抗したんです。
この衝突により、
ジャキ側に数万人の死者が出ました。
これを「ジャキの戦争」と呼んでいます。
1901年から1904年まで、
南はマヤの人達とも反乱がおきています。
「経済発展」の裏に、
このような自国民への弾圧があったのです。
暴力は暴力を生み、
彼は自らの首を絞めて行ったのでした。
その結末は・・・
明日書きます~
#MexicoCentralTours
【キオテ通信】バックナンバーもどうぞ