誰も知らないマヤの遺跡にある生きる術:タバスケーニョ

メキシコ在住15年目、

「メキシコの素顔を世界に!

をモットーに、

メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。

 

タバスケーニョ。

Tabasque ñ o

と書きます。

意味はタバスコ人です。

 

タバスコって、

メキシコシティの南東750キロぐらいの所にある州です。

オルメカ文化が栄えたエリアと言えば分かりやすいですね。

意味はタバスコ人ですが、

話しはマヤの遺跡です。

☝☝☝ここです。

 

何で「タバスコ人」

と名付けられたかと言うと、

タバスコ人所有の農園からこの遺跡が見つかったからです。(笑)

 

実はこの遺跡、

「まったく」

有名じゃないんです。(苦笑)

グーグルマップで検索しても出て来ないです。(苦苦笑)

 

もちろんガイドブックにも出てきませんし、

語られることもありません。

つまり、

普通だれも行きません、

というか、

それ以前に誰も知り得ません。(苦笑)

 

そんな遺跡を敢えてご紹介させて頂くのは、

まったく僕のエゴなんですが、

これもかつて存在した、

メキシコのご先祖さんの街なのです。

 

先週ご案内したエツナ遺跡の東、

直線距離で約48キロの位置に佇みます。

 

距離的にはエツナと近いのですが、

マヤ文化圏にある13の地域では、

エツナとタバスケーニョは別々の地域に属するんですね。

 

この地域はチェネス(Chenes)いって、

エツナのカンペチェ(Campeche)と分けられます。

この北にあるウシュマル遺跡はプーク(Puuc)という地域になります。

南のカラクムルはペテン(ペテン)という地域で、

こんな風に同じマヤでも地域によって、

建築様式などが変わってきたりするんです。

 

このタバスケーニョは、

600~800年頃に栄えたとされています。

参考資料(いずれも正式)によっては、

これを750~900年とするものもありますが、

“その辺り”ということです。

エツナの最盛期が400~1000年とされていますので、

同じ時代に存在したことになります。

 

次のサジル(Sayil)遺跡でもご紹介しますが、

ある重大な特徴があるんです。

 

それは、

チュルトゥン(Chultun)

という貯水システムです。

 

このエリアは、

幾つかの湧き水はあったものの、

パレンケのようにいくつもの川が流れる程、

水源は十分ではありませんでした。

よって、

雨水にも頼る必要がありました。

 

この雨水を貯めるシステムがチュルトゥンです。

地面に小さな穴が開いているんですが、

その中は空洞になっています。

☝☝☝これが地面に開く穴。この下が大きな空洞になっています。

☝☝☝こんなイメージです。中央の白い部分です。

 

空洞の大きさはさまざまですが、

小さくても約5000リットル、

大きいものだと1万5千リットルの容量があります。

 

この遺跡の多くの建造物は、

まだ地中に埋もれたままになっていたり、

修復されずに残っています。

☝☝☝今でこそ綺麗に修復された遺跡を目にするのが“当たり前”ですが、
元来はこのようにこんもりとした山となっていたものが発見され、
修復されるのです。

中心的な建造物は、

2階建てになっており、

一階は8部屋、

2階は2部屋の間取りです。

建てもの前面には“陸のモンスター”と呼ばれるイツァマの彫刻があったり、

その他に神聖なものと思われるいくつかの彫刻物や象形文字も見られます。

☝☝☝この裏に居住スペースがあります。

 

中央広場には塔があり、

これは天体観測に使われていたと考えられています。

 

何れの建造物も、

繁栄してた650~850年頃に建てられたと考えられています。

☝☝☝密林にひっそりと佇む宗教的建造物群(遺跡)

 

広く知れ渡った、

テオティワカンやチチェンイッツァ、

ウシュマルもステキですが、

誰にも知られず、

ひっそりと佇むこういった小さな都市跡(遺跡)にこそ、

本物のロマンが見えるかもしませんね。(笑)

 

#MexicoCentralTours

【キオテ通信】バックナンバーもどうぞ