トゥルムの素顔・後編
メキシコ在住15年目、
「メキシコの素顔を世界に!」
をモットーに、
メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。
トゥルムの素顔・後編
☝☝☝スペイン人がその大きさに驚いた?エル・カスティジョ
前回は、
トゥルムがいつ頃からあるのか、
というお話でしたね。
今日はもうちょっと突っ込んだ話です。
少々マニアックな話ですので、
面倒な方はまた明日覗いてください。(苦笑)
この都市はですね、
皆さんもご想像がつく通り、
海岸線に位置しています。
しかもこの地域では最も高い場所の一つにあるのが地理的特徴です。
この地理的特徴は、
商業に欠かせないものだったのです。
遠方からも商品と人が多く集まり、
この商業を通じた人の“集中”は、
次第に宗教的、巡礼の地としても重要な場所となるのです。
海運で中央アメリカとも交易があり、
陸では遠くはベラクルス湾沿い、
そしてメキシコ中部でとも交易があったようです。
当初の建築物にはPuuc式(ウシュマルがあるエリア)が多かったのですが、
1200年頃から人口が増え始め、
宗教的建造物の建築技術も複雑になっていき、
独自の様式が出始めます。
☝☝☝当時街はこんな様子だったようです。
1400年頃からは、
その独自の建築様式が定着し、
ユカタン半島東部で見られるCosta Orientalという名称がつけられます。
あとは、
宗教的建造物の保存状態が他と比べても良好です。
主要な縦長の宗教的スペース(道と言われますが)は、
南北に貫きます。
テオティワカンも同じですね。
ベラクルスのエル・タヒンなども南北に都市設計がされています。
そしてあまり知られていないカモしれませんが、
壁画はマヤ文化の中でも特に重要性が高いものです。
ちょっとお見せできるようなイイ写真が無いんですが、、、
この壁画は、
「地下の世界」を描いています。
これまでにも少し説明差し上げましたが、
メソアメリカの世界観は、
「死」は「生」を生むです。
だから人身生贄が行われていたり、
西の方角にテマスカルが造られたり、
洞窟または地中が象徴的だったりするんですね。
で、
ココの壁画には、
ヒトや動物の絵が描かれているんですが、
それらの再生(再び生まれる事)だったり、
再び生まれる前までの死の世界、
つまり「地下の世界」の様子が表現されています。
そして、
トゥルムという名前の意味でもある
「壁」です。
この壁は、
特に骨肉の争いが多かったマヤ文化ですので、(苦笑)
防衛の意味もあると考えられていますが、
それと並んで、
居住者の階級を明らかにするものだとも考えられています。
旅行者の一番のお目当ての、
よく写真に出て来る、
海が右にある写真に出てくる建物、
あれはですね「風の神の神殿」と言われているものでして、
台座の部分が丸いんです。
☟この建造物
これがマヤの世界では、
風の神とされているククルカンに関係すると考えられています。
ククルカンって、
チチェンイッツァのところでも出てきましたよネ。
春分の日に光と影が醸し出す、
ククルカンの降臨です。
ククルカンって、
メキシコ中央部ではケッツァルコアトゥルと呼ばれています。
先日の「生贄」のところで書きましたが、
敵対するテスカリポカに嵌められてしまったトゥラの王です。
トゥラの王なんですが、
メシカ人の間でも語り継がれていて、
それが元でメシカ帝国は滅びてしまうんです。
その話はまた今度に。(笑)
そんな風に、
メソアメリカ各地で姿名前を変えて登場し、
神話なのか実話なのか、
人間なのかヘビなのか、
ややこしい存在であるケッツァルコアトゥルでありククルカンですが、(苦笑)
あまり考え過ぎずに、
そう言うものだと思って下さい。(笑)
はい、
それでは、
マヤ文化ツアーお疲れ様でした。(笑)
複雑すぎて混乱している方も多いと思いますが、
それでいいんです!
これでメキシコに来て頂くと、
そのモヤモヤが晴れてきます。
それでは、また~
#MexicoCentralTours
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