メキシコの独立記念日は独立した日ではない!?

メキシコ在住15年目、

「メキシコの素顔を世界に!

をモットーに、

メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。

 

今から199年前の今日。

 

先日9月16日の210回目の独立記念日と、

その前夜の祝賀行事は、

例年よりひっそりと、、、

粛々と進められ、、、

日常へと戻って行きました。

 

コレ、

勘違いしている人も多いと思いますが、

「メキシコがスペインから独立した日」

ではないんです?(!?笑)

 

なのに独立記念と呼んでいるわけですが、

例えばアメリカの場合は、

アメリカ独立宣言が公布された日が独立記念日とされていますよね。

「はい、今日1776年7月4日から正式に独立国家ですよ」

となったわけです。

 

メキシコはというと、

ミゲル・イダルゴ神父率いる独立派の群衆が武装蜂起した日、

1810年9月16日が独立記念とされています。

 

そこから10年に渡って、

スペイン植民地政府側と独立軍との

“戦争”状態にあったんですね。

だから、

1810年の段階では、

スペイン側も認める、

“正式”な「独立」ではなかったんですねぇ。

(気持ちはわかりますが・・・)

 

で、

その10年に渡る独立戦争がようやく“終わり”ます。

 

今から199年前のこの時期です。

 

両軍とも長引く戦争に疲弊していました。

独立軍も、

ミゲル・イダルゴ、

イグナシオ・アジェンデ、

ホセ・マリア・モレロス、

といったリーダー達を失い、

求心力を欠いていました。

 

スペイン側も、

“免罪符”を提示し、

終戦を目論みますが、

独立軍から名乗り出たのはリーダー格で2人だけ。

今日カンクンがあるキンタナロー州の州名にもなっている

アンドレス・キンタナ・ローと

その妻レオナ

の2人。

 

そんな中、

スペイン植民地政府側は、

メキシコ南部を統括する隊長に、

新たにアグスティン・デ・イトゥルビデを任命します。

☟以前にも何度か紹介しているこの人です。

彼は結婚していたんですが、

愛人がいたんです。

彼女の名は通称ラ・グゥェラ・ロドリゲス(La Güera Rodriguez)、

本名マリア・イグナシア・ロドリゲス(Maria Ignacia Rodriguez)。

ちょっと脱線しますが、(笑)

ラ・グゥェラって、

La Güeraと書くんですが、

白人系の女性を指します。

でもなぜか、

いつもティアングィス(市場)に買い物行くと、

僕は

「ヘイ、グゥェロ(Güero)!」とか、

「よぉ、グゥェリト(Güerito)!」

と元気のいい店員さんに呼び止められます。(苦笑)

これは僕が白人だからではなくて、

一種の友情表現なようなものです。

日本で、

「おにぃさん!今日は何にする?」

みたいな感じ。

 

で、話を元に戻すと、

この愛人のラ・グゥェラさんが、

イトゥルビデに、

「もう戦争やめたら?」

と囁くのです。

保守派の一人だったイトゥルビデは、

仲間たちと、

まとまりの悪いスペイン本国からの“独立”を画策していたこともあり、

イダルゴ神父から始まった独立軍と、

“独立”という点で思惑が一致するんですね。

 

だから、

国旗の所でも少し書きました、

独立軍側のヴィセンテ・ゲレロと

「三つの保障(約束)」を結び、

同盟軍(トゥリガランテ軍)を結成するんです。

 

イトゥルビデはスペイン側とのパイプもあり、

植民地政府総督と、

ベラクルスのコルドバで、

“正式に”メキシコの独立を締結します。

1821年8月24日の事です。

これを「コルドバ条約」というんですが、

ココ☟がその現場です。

☝これが書類上正式な独立の日ですね。

 

そして、

199年前の今日、

1821年9月27日に、

イトゥルビデ率いる同盟軍、

トゥリガランテ軍は、

スペイン植民地政府の首都“だった”、

メキシコシティ中心部(現ソカロ)に、

無血入城することができたのです。

☟☟☟その時の様子

 

そんな、

泥沼だったメキシコ独立戦争の終結に一役買った?

イトゥルビデ。

残念ながらメキシコでは“英雄”とはされていません。

その後の彼の品行方正とはかけ離れた振る舞いが、

3年半後には、

彼を文字通り奈落の底に突き落としてしまうのでした・・・

 

そんな事を知る由もなく、

翌年7月21日、

第一次メキシコ帝国皇帝の座に就くのでした~。

 

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