知られざるマヤの都市カラクムルとは。
メキシコ在住18年目、
「メキシコの素顔を世界に!」をモットーに、 メキシコ旅行の政府公認ツアーガイド兼ドライバーをしています岩﨑コウです。初期のマヤで最も重要な都市カラクムル

知られざるマヤの大都市カラクムル
マヤに関して、 前々回はマヤ圏各地の都市跡のザックリとした話、 前回はマヤ族の出身地の話でした。 https://mexicoct.com/blog/maya/ で、今回はというと、 あの有名なマヤ文化の 最も初期の頃の都市で、 且つマヤ前期で最も重要な都市カラクムルの話です。 カラクムルは行った事がなければ、 聞いたこともないという人が殆どだと思います。 超有名はチチェンイッツァとは、 対極ですね。 さて、この都市跡(遺跡)どこにあるかと言うと、 ココです👇
ちょっと遠いけど行く価値は「大」
隣国グアテマラと接しています。 首都メキシコシティから直線距離で約1000キロ。 1000キロって日本で言うと、、、 東京から北は網走、 西は韓国の釜山、 南西に種子島ぐらいの距離です。 日本をベースにするとすごく遠く感じますが、 メキシコにいると、 「車で一日で行ける範囲」 ということで、 あまり遠く感じないんですよね。(苦笑) 事実、 サラリーマン時代には、 大事な商品サンプルを無事にお届けするために、 メキシコシティから北のモンテレイまで、 1日で1000キロ弱運転して行っていました。 アカプルコのへの往復も900キロ弱、 チアパスのサンクリストバルへも1000キロ弱と、 全部車で一日圏内です。 そんな事で、 一見“遠く感じる”カラクムルですが、(笑) 遥々日本からいらしていくのですから、 行く価値は“大大大”(トリプル大)です。(笑)
マヤ文化の中でも初期の大都市カラクムル
なんでそんなに価値があるのかと言うと、 あのマヤ文化の初期の大都市で、 且つマヤ前期で最も重要な場所だったからです。 数年前に話題になった世紀の大発見とされる、 アグァダ・フェニックスがどういう言う都市だったのか、 僕があれこれ想像では話せませんので、 とりあえず脇に置いておきますね。

カラクムルの始まりと終わり
カラクムルは、 紀元前551年頃に人々の定住が始まり、 宗教的建造物など、 本格的な街の建設が始まったのは紀元前405年とされています。 この事はカラクムルに数多く残された石碑(エステラといいます) から分かっているんです。 現地に行っても分からないのですが、 このカラクムルの巨大都市跡が存在する一帯というのは、 25平方キロメートルにも及ぶ、 巨大な火山岩のドームの上にあります。 25平方キロメートルって、 兵庫県尼崎市の半分ぐらいの面積です。 最も繁栄したとされるのは、 AD390年頃からで、 当時は南北からなるマヤ圏の南半分を ほぼ全て支配下に置いていたとされます。 この時代、 海の向こう日本は、 卑弥呼の邪馬台国とか、 古墳時代が幕を開けた頃です。

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