トラテロルコ:メキシコシティの大事な遺跡の話(2/3)

ロゴ,メキシコ,観光,ツアー,ガイド

メキシコはこの円安下において比較的「安く行ける海外旅行先」です。 成田から直行便でたったの12時間、2025年の海外旅行、メキシコ観光は弊社におまかせください。  

メキシコ在住16年目のメキシコガイド兼ドライバーが、

「メキシコの素顔を世界に!をモットーに、

複雑で広大なメキシコを【お得】で【楽】で【濃厚】完全プライベート日本語ツアーで、 メキシコの数々の遺跡からグルメ、地方の見所、そしてメキシコの雄大な山まで、 尽きる事のないメキシコの魅力をお得にご案内しております!

お隣のメシカと、トラテロルコの運命はいかに・・・

👆ここに背後の教会がすっぽり隠れてしまうほどの高さ45mのトラテロルコのテンプロマヨールが聳え立っていたと想像できます?

前回はこちら>

メキシコ盆地の部族の出身地の謎。

メキシコと言えばマヤ、 そして「アステカ帝国」が有名ですね。   「アステカ」というのは、 水の都を意味する「アストラン」に、 「人々」を表す「Ca」が語尾ついて「アステカ」となっています。   つまり、 アステカが意味するのは「アストランの人々」。   前編の最後の方で「北西の方の出身」と書きましたが、 このアストランがその「北西の方」の地です。 「北西の方」といっても広いですよねぇ・・・(苦笑)   そのまさに「そこ」という場所は諸説あり、 科学的根拠をもって解明には至っていないのですが、 サカテカス、ドゥランゴ、そしてナヤリット州のあたり。 👇この一帯   最も有力な説としては、 👇がアストラン、 [su_gmap address="Mexcaltitlan"] あとはラ・ケマダ👇というチャルチウィテの首都一帯から、 現在メキシコシティ一帯に移住してきたと考えられています。 [su_gmap address="La Quemada, Zacatecas"] その中にいろんな部族があって、 それらが今名付けられている、 テパネカやソチミルカ、アコルワ、チャルカ族など。   それらの部族に続き、 最後に現在のメキシコシティがあるメキシコ盆地に入ったのが、 その後最も強大な勢力を誇り、 スペイン人と対峙することになるメシカ族なんです。 メシカ族には「月」、 彼らのナワトル語で「メシトゥリ=Metztli」を崇拝する習慣がありました。 そこから「メシ」に「人々」を表す「Ca」をつけて「メシカ」となります。  

メシカ族の巡礼の旅は続く。

このアステカの一派メシカ族は、 メキシコ盆地に入る前に約19年に渡って、 トルテカの首都トゥラに住んだことは有名ですね。 その後メキシコ盆地にある(あった)テスココ湖の北端にある、 ツォンパンコ(今日のスンパンゴ)に入るのが1196年頃とされます。   ここから一直線に、 後に彼らの首都が築かれるテノチティトラン(現メキシコシティ中心部)に向かったわけではなく、 テパネカ族のアスカポツァルコでは「奴隷」にされるという憂き目にも遭い、 紆余曲折を経てようやく1325年の「2の家」の日に、 テノチティトランが築かれます。   「2の家」というのはメシカが使っていた暦の組み合わせなんですが、 これが、 約200年後のメシカ帝国滅亡とも関わってきます。   だから「アステカ帝国」というのも、 広義では間違いじゃないんですが、 スペイン人に滅ぼされたというのは、 正確にはメシカ族がつくった「メシカ帝国」なんですね。  

メキシコ盆地の勢力図に変化が起こすメシカの始まり。

で、 そんな広義の「アステカ人」の中に、 上記のテパネカという部族がいて、 彼らはメシカ人がメキシコ盆地に入る前から、 アスカポツァルコという場所に陣取っていました。 👇ここ [su_gmap address="Azcapotzalco"] そしてそこから近い、 後にトラテロルコとなる「ハルテロルコ=砂の丘」という意味の小島にもテパネカ族の一部が住み着いていたんです。 👇ここ 一方、 ハルテロルコの小島の隣にあった少し大きな島に異変が起こります。 メシカの神から下った「お告げ」に、 「サボテンにとまった鷲が蛇を咥えている場所をメシカの首都とせよ」 というのがあったのですが、 その場所というのが、 後にトラテロルコとなる、 ハルテロルコの少し南にあった島、 後に現在のメキシコシティとなる島で目撃されたのです。   メシカ族はそのミッションを粛々と遂行するために、 その島の他の部族の住人を追い出し、 首都の建設にあたるのです。   だからそこが、 メシカの首都テノチティトラン、 その後スペイン人に征服され、 メキシコシティとなり、 メキシコの国旗にその様子が描かれているわけなんです。 その首都ができた日というのが、 上述した西暦1325年の「2の家」の日というわけ。 もっとも、 この首都建設の年については諸説あり、 1321年も有力視されていて、 現に昨年2021年にテノチティトラン建設500周年記念の行事をやっていました。 でも1325年説の方が今のところ最有力視されていますが、 ま、 これも「おおよそ」というところでしょう。(苦笑)   歴史は都合の良いように書き換えられることが多かったため、 確たる証拠が残っているわけではありません。 スペイン語による記述が始まった植民地時代にも、 このような年表の改ざんというのは頻発していました。 メキシコの独立記念日だって、 当時のディアス大統領の誕生日に合わせ、 その祝賀行事が未だに9月15日に行われているんです。  

トラテロルコの始まりとその後。

それで、 その12年後の1337年には、 正式に「ハルテロルコ」として、 今日のトラテロルコに都市が建設されます。 これも1392年説というのがありますが、 それを追い求めるとキリがありませんので、 一律1337年ということにしておきます。(苦笑)   これでメシカはテノチティトランに、 テパネカの一部は今日のトラテロルコに収まったのでした。   隣人同士ということで、 最初はお互い仲良くやっていたようですが、 そんな平和も長続きしません。   この後、 メキシコ盆地の勢力図に大きな変化を起こす事件が起こるのです。 そしてトラテロルコの運命はいかに・・・   続きはまた次回に~   [su_button url="https://mexicoct.com/category/blog/" style="flat" background="#ce608d" size="5" radius="round" icon="icon: chevron-right" text_shadow="0px 0px 0px #000000" desc="バックナンバーはこちら!"]メキシコ発【キオテ通信】[/su_button] 一番下に関連記事が表示されるようになりました~ 画面を一番下👇👇👇までスクロール~ 【お一人のお客様同士のライドシェア】 [su_button url="https://mexicoct.com/rideshare/" style="flat" background="#ce608d" size="5" radius="round" icon="icon: chevron-right" text_shadow="0px 0px 0px #000000" desc=""]お得なキオテのライドシェア詳細はこちら[/su_button]

SNSにてメキシコの写真と動画を多数アップしています!

#MexicoCompleteTravel

20年近くメキシコの社会にどっぷり浸かり生活している私から見た「メキシコの素顔」を、文章、写真、動画でご紹介しております。 ぜひフォローをお願いします!

Facebook

Instagram

メキシコ旅行相談窓口

[su_button url="https://mexicoct.com/new/contact/" style="flat" background="#ce608d" size="10.8" wide="yes" center="yes" radius="0" icon="icon: chevron-right" text_shadow="0px 0px 0px #000000"]お問い合わせはこちら[/su_button] ]]>

シェアする