あのマヤ族はマヤ圏出身ではない。

メキシコ在住15年目、

「メキシコの素顔を世界に!

をモットーに、

メキシコ旅行の政府公認ツアーガイド兼ドライバーをしています岩﨑コウです。

今日もメキシコから書いています~

 

マヤ族の出身地は、マヤ文化圏ではない。

☝☝☝密林に佇むカラクムルの都市跡

 

前回の「マヤ文化とは何か」

を読んで頂いた方や、

マヤ文化について知識をお持ちの方なら、

 

「えっ!?」

 

なったと思います。

 

僕もそれを知った時は

 

「!?」(驚)

 

となりました。

 

マヤといえばユカタン半島やチアパス、

その逆も然り、

と思っていましたから。

 

前回見て頂いた地図で、

最も古いマヤの都市というのは、

先日のニュースで取り上げられたマヤ文化最古と推測される都市跡であったり、

グアテマラのティカル(Tikal)、

カンペチェのカラクムル(Calakmul)

などです。

 

それらのエリアに紀元前1000年から500年ぐらいに渡って、

マヤ文化圏に人の定住や初期の都市建設が始まったと考えられています。

 

そこでですが、

マヤ族について、

 

これより更に前の知られざる歴史があるんです。(驚!)

 

マヤ族が、

マヤ文化初期に定住を始めた上記の地域に辿り着く前は、

実は、

もっと北の方にいたのです。

 

つまり、

マヤ族の出身地は、

チチェンイッツァがあるユカタン半島やパレンケがあるチアパス州ではないのです。

 

北と言うのは、

メキシコ湾側、

今のベラクルス州北・中部にかけてです。

☝☝☝このあたり

 

紀元前2500年以降、

この地域から、

一部が離脱し南下を始め、

紀元前1500年頃には、

ユカタン半島やチアパスの一部に到達します。

 

その後、

マヤ初期の定住や各都市の建設に繋がるのです。

 

その一方で、

移動せずに留まったグループがあります。

彼らはその後、

現在のベラクルス北部と

サンルイスポトシの南東部に跨るエリアに留まり、

彼ら独自のウァステカ(またはテネック)文化を形成します。

☝☝☝このあたり

 

結論。

 

700キロも離れた文化、

マヤ文化とウァステカ(またはテネック)文化は兄弟なんです。

 

この事は言語学的観点からも分かります。

 

マヤファミリーという大きな木があるとします。

マヤ語とウァステカ語というのは、

同じ枝から枝分かれした言語なんです。

つまり、親は同じです。

 

同様に、

同じマヤファミリーの木の別の枝には、

現在もチアパス州で話されている

ツェルタル語や

ツォツィル語という言語に繋がります。

これは家系は同じですが、

親が違うので従兄弟にあたります。

 

ややこしいですね。(苦笑)

メキシコにいらして頂いた時に

分かりやすくご説明します。

 

サンルイス南東部やベラクルス北部(ウァステカ文化圏)に行かれる機会がありましたら、

あのマヤはココから始まった、

と思い出してみて下さい。(笑)

 

ではでは~

☝☝☝パレンケ

 

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