地形を利用したマヤの防衛都市パレンケ
メキシコ在住18年目、
「メキシコの素顔を世界に!」をモットーに、 メキシコ旅行の政府公認ツアーガイド兼ドライバーをしています岩﨑コウです。パレンケ(Palenque)。

パレンケという名称
世界遺産でもあり、 ここはチチェンイッツァについで? 知名度はあるかもしれません。(推測) でも、 年代は全然異なりますので、 同じマヤはマヤでも別別の都市としてお考え下さい。 パレンケは、 先日少しご紹介したカラクムルから、 南西に直線距離で240kmにあります。
強大なパレンケを統治した王パカル
このパレンケ(またはオトゥルン)は、 カンペチェ州のカラクムル、 隣国グアテマラのティカルと並び、 マヤ前期でもっとも重要な都市の一つでした。 AD500年頃から900年頃まで繁栄とされており、 その中でも、 パカル(K'ihnichjanaab' Pakal)という王が絶大な力を持っていたとされています。 👇パカル王のイメージ




パレンケが発展したワケ
冒頭のチョル(Chol)語の名前、 オトゥルンの意味が、 “要塞化された家”でしたが、 これには理由がるんです。 他の都市(チチェンイッツァやカラクムルなど)と違い、 背後に山を背負っており、 都市発達が放射状にされなかったんです。 これは防御的な理由からと考えられています。 ちょうど南から北に向く形で都市設計がされており、 これがタバスコ方面に向かって広く、 支配下に収めることができた要因と考えられてます。


メソアメリカ最初の文字
更に特徴的なのは、 象形文字です。 これは他の街の高貴な人達との婚姻や、 政治、はたまた戦争の状況に渡って書かれています。 これらの象形文字は、 メソアメリカで最も初期の“文字”とされているのです。パレンケに行くならついでに行きたいマヤ前期の都市跡群
パレンケの近く(といっても片道3時間圏内)には、(苦笑) パレンケと同時期に栄えていた都市跡がいくつかあります。 南のオコシンゴにはトニナ(Tonina)、 南東のウスマシンタ川沿いには、 メソアメリカ3大壁画の一つがあるボナンパック(Bonampak)、 120の建造物、124もの“文”が、117の石碑などに残されている ヤシュチラン(Yaxchilan)は、 テオティワカンやチチェンイッツァのような大きな“ピラミッド”は無いものの、(笑) マヤ前期の都市の中でも印象的な都市でした。 少し遠くなりますが、4時間半程のところにカラクムルがあります。 せっかくパレンケに行かれた“ついで”にでも、 そちらの方にも足を伸ばされることをおススメします~ (もちろん、僕が全てご案内させ頂きます) 「ここもメキシコ!?」と思ってしまうチアパスの旅、おススメです。(笑) 詳しくはツアー例👇をご覧ください~。 https://mexicoct.com/tours/ [su_button url="https://mexicoct.com/category/blog/" style="flat" background="#ce608d" size="5" radius="round" icon="icon: chevron-right" text_shadow="0px 0px 0px #000000" desc="バックナンバーはこちら!"]メキシコ発【キオテ通信】[/su_button] 一番下に関連記事が表示されるようになりました~ 画面を一番下👇👇👇までスクロール~ 【おひとり様同士のライドシェア】 [su_button url="https://mexicoct.com/rideshare/" style="flat" background="#ce608d" size="5" radius="round" icon="icon: chevron-right" text_shadow="0px 0px 0px #000000" desc=""]お得なキオテのライドシェア詳細はこちら[/su_button]SNSにてメキシコの写真と動画を多数アップしています!
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