アカプルコってこんなところ・後編

メキシコ在住15年目、

「メキシコの素顔を世界に!

をモットーに、

メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。

 

アカプルコってどんなところ・後編

昨日の続きです。(笑)

☝☝☝アカプルコ市街地の一部。ウォルマートなどの大型スーパー、カジノ、ゴルフ場もあります。

 

で、

話は一気に500年ぐらい前のメシカ(アステカ)に遡ります。

☝☝☝1870年のアカプルコのようです。下の写真はこの絵の奥から手前に向かっています。

☟☟☟現在のアカプルコ

 

ちなみにアカプルコ(Acapulco)って、

ナワトル語の、

Sacatl=アシ(水辺に生える植物)

Poloa=引き抜く

Lo/Co =場所

が語源です。

 

アシが引き抜かれた場所。

 

ん~・・・

海岸線を整備するために、

大量にアシが引き抜かれたのでしょうかね。(苦笑)

 

1521年にメシカ(アステカ)帝国を征服したスペイン人のエルナン・コルテスは、

コロンブスが始めた、

スペイン人の当初の目論見、

アジアへの航路を開拓したく、

部下のヴィジャフエルテとフランシスコに、

太平洋岸を探検させるんです。

 

彼らが1523年にアカプルコ湾を発見します。

正確には“ヨーロッパ人として初めてアカプルコ湾に到着”します。

リーダー格のヴィジャフエルテと仲間のスペイン人達は、

現在のアカプルコの場所に、

街を造り、

彼の名をとって、

“ヴィジャフエルテ”と名付けます。

 

ヴィジャフエルテは、

地元住民に、

主にカカオ、綿そしてトウモロコシを年貢として納めさせて生活します。

 

元々、

スペイン人の太平洋岸の拠点は、

アカプルコの北西にあるラサロ・カルデナス(サカトゥラ)だったんですが、

首都のメキシコシティからちょいと遠いんですね。

なんで最初にアカプルコに行かなかったのかというと、

1521年にメシカ(アステカ)を征服した翌年に、

ミチョアカン州ツィンツンツァンに首都があったプレペチャ帝国を征服しているんです。

地形的にもそこから最も近い海岸線は今日のラサロ・カルデナスとなります。

☟ここです。濃い緑は山です。

 

1531年に、

よりメキシコシティに近い(といっても直線距離で300キロ)のアカプルコ-メキシコシティルートを開通させたんです。

 

1533年にはマルケス港をつくり、

1550年には、

メキシコシティからスペイン人の30家族が移住します。

 

その15年後、

1565年からは、

250年に渡って、

アジア-アメリカ大陸-スペインを繋いだ貿易ルートの発着地になるのです。

 

1614年には、

日本人として初めてアメリカの地に渡った、

支倉常長率いる「慶長遣欧使節団」がアカプルコに寄港します。

支倉一行は、

ここから首都に向かい、

メキシコ湾側のベラクルスよりスペインに向かったのでした。

☟☟☟アカプルコにある記念像

 

この地域には、

なんと2ヶ所から、

紀元前1500年から紀元前400年頃まで繁栄した、

メキシコ湾側のオルメカ文化の影響を受けたと見られる土器が見つかっているんです。

直線距離で700キロですよ。

しかもそんな大昔にどうやって交流していたんでしょうね。

アカプルコではないですが、

アカプルコのもう少し北の方にある遺跡からは、

オルメカの人頭像も見つかっています。

 

恐るべし、

メソアメリカ最初の文化オルメカ。

 

年代は1950年代に戻り、

53年には、

ケネディ元大統領夫妻が新婚旅行に来ています。

あとは、

サッカーを見る方でしたらご存知だと思います。

25年ぐらい前に、

メキシコ代表で活躍した、

ゴールキーパーとフォワードを兼任した伝説のプレーヤー、

ホルヘ・カンポスさんの出身地でもあります。

 

そんな、

日本の歴史とも深い関りがあるアカプルコ、

有名人とも関りがあるアカプルコ。

 

見捨てないで下さい~ (笑)

 

#MexicoCentralTours

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