コバのしたたかさの裏にあったものとは。

メキシコ在住15年目、

「メキシコの素顔を世界に!

をモットーに、

メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。

 

コバ。

Cob áと書くのですが、

発音はaにアクセントが付くのでコバッとなります。

「カンクンに行って遺跡ツアーに行くなら、

とりあえずチチェンイッツァかコバ!」

というツアーが3000万個ぐらいあるほど、

結構知られている遺跡だと思います。

 

コバに行ってトゥルムも多いでしょうねぇ。

 

カンクンの南西120キロぐらい、

来るまで2時間半ぐらいです。

トゥルムの北東42キロぐらい、

車で一時間ぐらいです。

☟☟☟ここです。

 

てなわけで、

地理的にも、

カンクン発のツアーでは、

チチェンイッツァ方面と、

トゥルム・コバ方面の2大ルートとなっていると思います。

 

で、

毎回の如く、

「コバ遺跡ってなんぞや」、

「他の遺跡と何がどう違うんや」、

終いには、

「遺跡多すぎてもう分からんわ」(怒)

という話になります。(苦笑)

 

チチェンイッツァ、コバ、トゥルムと全部ツアー会社に言われるがままに行ったけれど、

結局、

「何なのか良く分からんかった」

「他の遺跡と一緒やん」

と頭に「???」が

北斗百裂拳のように浮かんでこないようにしたいです。(笑)

☟北斗百裂拳

 

コバは、

一言でいうならば、

クラシコ期(200年から900年)のユカタン半島北部で、

最も大きな都市だったのではないか、

または少なくても最も大きな都市の一つだった、

と言われています。

 

ここでもう年表が頭に浮かんだ方には、

【キオテ優秀賞】を贈呈します。(笑)

 

カラクムル300~700年

パレンケ500~900年

トニナ600~900年

エツナが400~1000年、

ウシュマル(ウクスマル)600~900年

チチェンイッツァ1000~1250年

マヤパン1200~1450年

 

主な都市の年代はこんな感じでしたね。

 

繰り返しになりますが、

これらの年代はあくまでも「全盛期」といわれる年代で、

この年代にバシッと始まってビシッと終わったわけではない、

ということだけ念押ししておきます。

 

カラクムルなんか、

定住が始まったのは紀元前550年頃と考えられています。

紀元前400年頃からようやく都市建設が始まり、

そこから全盛期という言われる年代に入るのに

700年もの時間が経っているんです。

 

で、

このコバ(コバッ)はと言いますと、

この地に狩猟農耕民族による定住が始まったのが

紀元前100年以降と考えられています。

その後約400年ぐらいかけて、

集落が形成され、

それにともない階級社会もできて行きます。

 

この地域は地表に川が無いんです。

ユカタン半島の北部は地表の水源に限られているために、

チュルトゥネスという貯水システムなどを使い、

雨水を確保していたという話をこれまでにもしてきました。

☟☟☟これです。

 

コバ(コバッ)の場合は、

湖です。

周辺に5つの湖がある地理的好条件を使った事が後の繁栄につながったとされているんです。

(グーグルマップでは4つしか見当たりませんが)

 

コバという名前は、

数少ないオリジナルの地名なんです。

これは石碑から解読されています。

その意味はAgua picada、

「危険な水」。

なんかぎこちない訳ですが(苦笑)

時化た海のような状況を表すに使います。

 

300年から900年ぐらいにかけて、

宗教的建造物や石碑、サクベというマヤの道などが造られ、

都市として発展を遂げるんです。

全盛期は50㎢もの広さの都市だったと考えられています。

 

50㎢って、

日本でいう沖縄市や尼崎市とほぼ同じ面積です。

 

この街の特徴はと言いますと、

マヤの道、サクベの数です。

その数、

発見されているだけでも50はあると言われています。

それが周辺の地域と繋がれていたんですねぇ。

遠い所ですと、

チチェンイッツァの近くのYaxun áという所まで続いていて、

直線距離で100キロです。

 

大半のサクベ(マヤの道)は、

600年から800年ごろにかけて建設されたのではないかと考えられています。

何れにしても全盛期ですね。

 

全盛期には、

ユカタン半島北部、

南方面はカラクムルがあるペテン地方、

メキシコ湾沿いから、

遠くはメキシコ中部にまで、

商業をベースとした交易があったと考えられています。

 

900以降になると、

チチェンイッツァに侵略され始めます。

ちょうどこの頃って、

チチェンイッツァがマヤの天下をとるためにバキバキの怖いもの知らずでいた頃でした。

 

侵略されコバの勢力は衰えたとしても、

都市としては機能し続け、

気が付けば侵略してきたチチェンイッツァよりも長く存命したんです。

1450年頃に放棄されたとされ、

スペイン人によって発見された時には人は住んでいませんでした。

 

その後も300年以上に渡り、

“忘れられた都市”となり、

1920年代に初めて調査が行われます。

 

「ただカンクンから近いから」、

「ツアーが3000万個ぐらいあるからとりあえず」、

で行くだけではもったいない、

偉大な都市だったんですねぇ。

 

是非ぜひ足を伸ばしてみて下さい~

 

#MexicoCentralTours

【キオテ通信】バックナンバーもどうぞ