メキシコの人も知らない謎のアイルランド人の話。
メキシコ在住15年目、
「メキシコの素顔を世界に!」
をモットーに、
メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。
たかがおひたし、
されどおひたし。
最後にいつ食べたのか思い出せないほど前、
もしかしたら母親の料理が最後だったかもしれない、
ほうれん草のおひたし。
初めて自分で作って食べて、
しかも美味しくて感激しました。
なんでこんなに簡単にできるものを
もっと早く作らなかったのか、
という事実は自分にも謎ですが、(笑)
早速ほうれん草をいつもの倍買って、
これからの我が家の定番メニューにしようと思います。
メキシコ史上に現れる、
謎のアイルランド人の存在。
メキシコのと深い関係、
つまり歴史上に出て来る国と言えば、
もっぱらスペインで、
フランスやアメリカが侵略したり、
オランダやイギリスの海賊に攻められたりと、
メキシコには
「虐げられた歴史」
がある事は否めません。
そんな中、
ある一人の外国人の存在が、
長く複雑なメキシコの歴史の中に佇んでいます。
彼の名前はグィジェン・デ・ランパート、
またはウィリアム・ランポート。
☝☝☝この方です。
ウィリアムという時点で、
メキシコ系でもスペイン系でもないですね。(笑)
彼は1611年生まれのアイルランド人なんです。(!?)
しかも単独です。
時代は江戸時代初期。
オランダとの貿易が始まったのが1609年、
豊臣氏が滅亡した大阪冬の陣は1615年。
その彼が、
現在のメキシコの地、
(当時はスペイン植民地ヌエバ・エスパーニャ)
に来たのが1640年。
鎖国完成の1641年の前年と言えば分かりやすいですね。
メキシコに来た時、39歳だったんですね~。
僕と同じぐらいの歳にそんな昔に大冒険をしたと思うと、
スゴイ行動力だと思います。
そんな彼の行動には謎が多いんです。
そもそも何でアイルランド人の彼がメキシコに?
どうもちゃんと目的があったようなんです。
「メキシコでスペイン人によって虐げられている“先住民”や奴隷を開放すること」
この大義名分のもと、
先ず、
アイルランドのイギリスからの独立と、
スペインへの併合を企てます。
その計画がどこまで進んでその後どうなったのかは分かりませんが、
当時のスペイン国王フェリペ3世の息子に接近できたのです。
ちなみにこのスペイン国王フェリペ3世は、
江戸幕府より派遣された慶長遣欧使節団の支倉常長さんが1615年に謁見しているのです。
このコネを通じて、
スペインの植民地ヌエバ・エスパーニャのヴィレイ(植民地王)の座を虎視眈々と狙ったのです。
その目的はヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)のスペインからの独立です。
しかし、
そんな大胆で勇敢な計画がバレたのです。
そしてメキシコに来て2年後の1942年に
異端尋問(Santa Inquisición)にかけられ、
監獄に送られます。
しかし約8年過ごした後に脱走に成功します。
脱走後は、
別のブログでも紹介したアフリカ系メキシコ人の子孫が住むベラクルス州のジャンガ(Yanga)に、
約10年に渡って身を潜めつつも、
「独立運動」を続けたのです。
☝☝☝ジャンガ
しかし、
またしてもそんな大胆な活動が災いし、
現地のスペイン系の住民によって植民地当局に“密告”されてしまうんです。
1659年に捕らえられ、
焼身刑に処されます。
メキシコの独立運動が、
有名なミゲル・イダルゴによって始まったのは1810年です。
でもその約200年も前に、
しかも外国人によって、
メキシコの独立運動が行われていたのです。
その栄誉を称えられ、
その証拠に独立記念塔の中に
彼の像があるんです。
☝☝☝これです。
☝☝☝この中です。
これはメキシコの人でもあまり知らない事実でもあるんですよ~。(笑)
#MexicoCentralTours
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