501年前の今日、6月30日はメキシコにとって「歓喜の日」ってことはあまり知られていない。


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メキシコ在住16年目、

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いつかまた戻ってきたくなるメキシコ旅行を提供しています、

公認日本語ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。

 

今日も呑気にメキシコから書いています~

 

6月30日はメキシコにとって「歓喜の日」ってことはあまり知られていない。

☝☝☝人類博物館にある実物の金塊

 

今年も残り6ヵ月。

 

最近「時間が経つのが早い」を連発していますが、

どう考えたって早すぎます。(苦笑)

 

日本はもう7月1日ですが、

メキシコはまだ6月30日。

 

この日は、

ちょうど今日から501年前に起こったある有名な出来事があります。

 

有名と言っても、

「6月30日と言えば・・・あぁあの日ね」

という程度で、

クリスマス程ではありません。

 

当然祝日でもありません。

 

で、

何かっていうとこういう事です。(笑)

 

1981年3月13日に、

メキシコシティ中心部で世紀の大発見がありました。

 

多分、

他国でもニュースになったはず?ですので、

記憶にある方もいらっしゃるかも知れません。

 

メキシコシティ中心部で、

金塊が地下4.8mから発見されたのです。

 

重さ1.93キロ、

長さ26.2㎝、幅5.24㎝、厚さ1.4㎝。

 

でも何でそこに金塊が埋もれていて、

しかも大ニュースになったのでしょう?

 

理由はただの金塊じゃないから。

 

1520年5月20日にメシカ(アステカ)の首都テノチティトランでの大虐殺がありました。

 

スペイン人の大将エルナン・コルテスが、

同じスペイン人で自身の“仕事”を妨害しようと送り込まれた、

パンフィリオ・デ・ナルバエスの反逆を鎮める為にベラクルス(メキシコ湾側)に出向いていました。

 

ベラクルスのセンポアラでパンフィリオで打倒し、

その後テノチティトラン(メキシコシティ)に戻るのですが、

その間にペドロ・デ・アルバラドが、

400人の民衆を虐殺した、

という話を去年にも書いた記憶があります。

👇ペドロ・デ・アルバラド (Museo Nacional de Virreinato蔵)

👇虐殺の様子を描いたもの

 

これによりメシカ人の間に、

スペイン人に対する不信と憎悪が増していました。

 

さらには、

6月29日にメシカ帝国の皇帝モクテスマ(Motecuhzoma Xocoyotzin)がスペイン人に殺され

とうとうメシカ人の堪忍袋の緒が切れます。

翌日6月30日にはスペイン側との戦いに発展し、

スペイン側は壊滅的なダメージを負い、

首都テノチティトランから命からがら西方面に向かって逃げ出すのです。

この出来事は一般的に「Noche triste=悲しき夜」

と呼ばれています。

 

このスペイン人達が逃亡した道というのが、

現在のメトロポリタン大聖堂の裏にあるタクバ通りです。

タクバ通りを西へ逃げました。

☝☝☝スペイン人の逃走経路と金塊の発見場所

☝☝☝今のタクバ通り。奥がソカロ側、手前に向かって逃げて行きました。

 

というのも、

大聖堂に向かって左側の建物は

かつてアシャジャカトゥル邸(モクテスマの父・6代目メシカの皇帝)

があった場所です。

 

スペイン人達は、

1519年11月8日にこの地にやって来て以来

せっせと金を集めていて、

ここでメシカ人の装飾品などから金を融解し、

金塊の形にし、

それをココに保管していたのです。

 

金は、

スペイン人がメソアメリカの地に乗り込んできた目的の一つでもあり、

失うことができない大切なものだったのです。

 

だ・か・ら、

メシカ人の攻撃を受けたスペイン人は、

持てるだけの金塊を持ち、

最も近い逃げ道(保管場所の裏)であったタクバ通りを、

西の陸に向かって逃げる事になったのです。

 

なぜタクバ通りを西に行ったかといいますと、

当時タクバ通りの西(島の西岸)には桟橋が掛けられ、

テスココ湖の西岸に繋がっていたからです。

☝☝☝当時のテノチティトランの様子。中央部の広場が現在のソカロ
中央部から手前(西)に延びる“道”が現在のタクバ通り

一方で、

島であるテノチティトランにいくつかのカナール(水路)が通っていました。

その一つが、

現在のタクバ通りとレフォルマ通りが交わる付近(西岸の手前)にあり、

木製の橋が掛けられていました。

この橋が、

スペイン人の逃亡時に壊れたんです。

そして何人かのスペイン人と共に、

金塊も水路に落ちました。

 

1981年に見つかったこの金塊は、

この時のモノなのです。

 

発見から39年間、

真相は謎に包まれていましたが、

昨年1月、

調査により当時のメシカの遺物にある金の組織と一致し、

はれてスペイン人が略奪した金塊の一つである事が証明されたのです。

 

併せて、

金塊を隠そうとした形跡が見つりませんでした。

箱なり、袋なり、

隠すための工作がされておらず、

それにスペイン人の逃亡路が合致したのです。

 

これが一般的にノォチェ・トゥリステ=Noche triste(悲しき夜)と呼ばれる出来事で、

ちょうど501年前の今日1520年6月30日に起こりました。

 

ところで、このNoche triste(悲しき夜)は、

スペイン人の立場から見たもので、

モクテスマ2世の後を継いだ第10代メシカ皇帝クイトラウァック(Cuitlahuac)率いるメシカ側からすれば、

これは【勝利の夜=Noche victoriosa】なのです。

 

この金塊が、

その出来事の唯一の物質的証拠であり、

その重要性が極めて高いのです。

 

ちなみにタクバ通りには、

美味しいメキシコ料理店もあるので是非歩いてみてくださいね~

 

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