アステカカレンダー、ではなくて【太陽の石】とは。

メキシコ在住15年目、

「メキシコの素顔を世界に!

をモットーに、

メキシコ旅行の政府公認ツアーガイド兼ドライバーをしています岩﨑コウです。

 

今日は昨日より日が出ていますが、

それでもちょっと肌寒いです。

 

“アステカカレンダー”

ではなくて、

太陽の石。

 

聞いたことや見たことがある方も多いと思います。

あの、デッカイ丸い“石”です。

☝☝☝これです

 

直径は3.6m、

重さ24トンもあるんですよ~。

 

メキシコに行きたい!

とお考えになられる方であれば、

とりあえずガイドブックを購入され、

とりあえず目玉の一つである国立人類博物館のページを見られると思います。

そこに漏れなく紹介されている

“アステカカレンダー”

というのがこれです。

 

実はこれ、

“カレンダー”

ではないんです。(苦笑)

 

ガイドブックでは、

「このカレンダーを元に労働し・・・」

と書いてありあすが、

違うんですね。

 

当初は、

現に表面には1日を示す“記号”が20個あり、

当時メシカ族が使っていた暦と一致する為、

“カレンダー”

思われていたんです。

 

カレンダーではないなら何なのか、

というと、

 

“生贄の石”

なんです。

テマラカトゥル

(temalacatl)

といいます。

通称

“太陽の石”

(La Piedra del Sol)

と呼ばれています。

 

なぜ“生贄”に使われていたのかが解るかと言うと、

石板の表面から得られた血液反応です。

血液の他に、

色素も解りました。

赤と黄色を基調としたもです。

☝☝☝こんな感じです

 

“生贄の石”

については、

これ以外にもあるんですね。

例えばティソック(Tizoc)

というものですが、

これも国立人類博物館で見ることができます。

☝☝☝これです。生贄の石ティソック(Tizoc)

 

今回の“太陽の石”は、

非常に“謎”が多い遺物で、

今でも多くの推論が存在するので、

何が正しいのか、

ということは、

実際のところ

“分かり兼ねる”

のです。

 

僕は公式の資料から情報を得ているのですが、

それらの資料でさえ、

様々な“憶測”が出て来るんですね。

 

それらによると、

この太陽の石は、

当初の計画では、

ティソックのような、

もっと厚みがある生贄の石になる筈だったそうです。

それが途中で亀裂が生じたため、

今の形になったとされます。

 

つまり、

“未完成”

なんです。

 

未完成にも関わらず、

「春の重要な行事」で行われる、

人身生贄の儀式で使われていた

と考えられています。

 

その春の需要な儀式というのは、

tlacaxipehualiztli

トゥラカシペワリストゥリ

(知らなくても大丈夫です 笑)

と言って、

トウモロコシの作付けに先だって行われる行事でした。

この名前の由来についてはまたの機会に書きますネ。

 

トウモロコシの栽培時期は、

お米と同じで、

春に植えて秋に収穫です。

上記のイベントは3月の秋分を挟む前後5日~24日に行われていました。

 

この儀式の話題になると少し長くなるので、

ココでは割愛させて頂きます。

 

それでその太陽の石、

現在は博物館で縦に置かれてますが、

実際は水平に置かれていて、

その上で捕虜の戦士が生贄にされていたんです。

2人の戦士がこの上で戦わされたのです。

☝☝☝こんな感じで、四角い台座の上に置かれていたと推測されています
出典:Arqueología mexicana
https://arqueologiamexicana.mx/mexico-antiguo/el-emperador-y-el-cosmos-nueva-mirada-la-piedra-del-sol

☝☝☝スペイン人修道士ディエゴが描いた生贄の儀式の模様
左の人の足元にあるのが生贄の石

この石板は、

まだスペインの植民地時代の1790年12月17日に、

今のソカロ広場の南東の部分で見つかりました。

ちょうど広場を整備している時に作業員が、

うつ伏せに埋もれている太陽の石を発見したんです。

 

ガイドブックには、

「捨てられた」

とされていますが、

「隠された」

と言う方が正確です。

その理由は、

表面に保護の目的で?塗られたと思われる、

炭または砂が付着していたのです。

虐殺か何かの“事件”の生存者が、

元の場所から抜き取り、

その場所に埋めたと考えられています。

その元の場所と言うのは正確には解っていません。

 

それ以降、

スペイン植民地政府の宮殿に置かれ、

その後は何と、

メキシコシティのメトロポリタン大聖堂の

左の壁に設置され、

風雨にさらされ続けた上、

人間の“遊び道具”となっていました。

1885年にようやく博物館に移動されます。

 

長くなってしまいましたが、

メシカ(アステカ)帝国はもちろん、

メソアメリカの遺物の中でも最も印象強いものの一つである

“太陽の石”

のザックリとした背景です。

 

これだけ知っているだけでも、

実際に見た時にはかなりインパクトが違って来ると思います。

 

またの機会に、

ちょっとマニアックになってしまいますが、(笑)

別の部分についても書いてみます~

 

#MexicoCentralTours

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